藤子不二雄A先生、『「愛…しりそめし頃に…」』を描いてくれてありがとう!

レビュー

 藤子不二雄A先生の『まんが道』といえば、藤子不二雄の2人がいかにして漫画家になっていったかを描く、自伝的漫画である。漫画家を目指す人の「バイブル」として、これを読んだ多くの少年少女が漫画家を目指したという、多くの人の人生を変えてしまった漫画の一つだろう。
だが、「『まんが道』を読んだ」という方の中にも、この作品が比較的最近まで継続して描き続けられていたということを知らない人もいるかもしれない。

『まんが道』は1970年に「藤子不二雄」名義で少年キングに描きはじめられた。
言うまでもなく藤子不二雄とは藤本 弘(藤子・F・不二雄、代表作『ドラえもん』『キテレツ大百科』『エスパー魔美』)先生と、安孫子素雄(藤子不二雄A、代表作『忍者ハットリくん』『怪物くん』『魔太郎がくる!!』『笑ゥせぇるすまん』他)先生の、お二人の合同ペンネームであるが、『まんが道』はそのうちA先生が描かれていた。
掲載媒体を変えながら、コンビ解消の翌年、1988年に一応の「完結」を見た。足かけ18年に渡る連載である。

 だが、『まんが道』は完結していなかったのだ。
A先生は、新たな「まんが道」の続編を始める。
『まんが道』の連載が終わったばかりの1989年に、ビッグコミックで『「愛…しりそめし頃に…」』(以下『愛しり』と略す)というタイトルでその続きを描きはじめている。
(正式には『愛…しりそめし頃に… 満賀道雄の青春』と、副題が付く)。

「愛…しりそめし頃に…」
©藤子不二雄A/小学館

 ビッグコミックで読み切りが数回掲載された後、1995年より連載が開始され、2013年に完結している。こちらも足かけ18年……だが、読み切りを入れれば足かけ24年……実は、『愛しり』の方が、『まんが道』本編よりも手がけていた期間が長いのだ。

 この『愛しり』は、『まんが道』の「続編」である。
『まんが道』の物語は才野茂(さいの・しげる=F先生)と満賀道雄(まが・みちお=A先生)が出会った小学校時代から描き始められる。
戦後、手塚治虫の『新宝島』……まるで映画のようにドラマチックな「ストーリー漫画」に出会い、衝撃を受けた2人は、一緒に漫画家を目指してゆくことを誓い合う。
 「漫画の神様」・手塚治虫と出会い、手塚に導かれて上京し、入居したボロアパート・トキワ荘では寺田ヒロオや石森(石ノ森)章太郎、赤塚不二夫らとともに切磋琢磨しながら、学年誌や少年誌で漫画を発表し、やがて押しも押されもせぬ人気漫画家に成長していく。
 戦後の日本漫画界を背負って立った大御所たちの若き日、等身大の青春を描いた作品だ。
 そして、この漫画を読んで、「漫画家になりたい」と思った読者も少なくはないだろう。
お正月、たくさんの締切を抱えて里帰りした満賀と才野が、実家でだらけてしまい、結局全ての原稿を落としてしまう「すべては終わってしまったのだ」事件などは、戦後漫画の、あるいは昭和漫画家が共有する「神話」、あるいは「寓話」とでもいうべきエピソードだ。
(ちなみに、全く『まんが道』を読んだことがないという若い人でも、この作品の影響を受けた後の世代の漫画家によって間接的な影響を受けていることは多いと思われる。たとえば、わかりやすいところでいえば、『ジョジョの奇妙な冒険』第4部での億泰セリフ『んまーい!』は、A先生へのオマージュだったりする)。

 さて、『愛しり』は、もちろん『まんが道』の正当続編であることは間違いがないのだが、『まんが道』と続けて『愛しり』を読んでみると、「読み口」の違いに戸惑うかもしれない。
物語も(やや重複する部分もあるが)『まんが道』の続きあたりから始まり、満賀道雄たち「トキワ荘」の漫画家たちは、すでに少年の頃の夢を叶えて、売れっ子になっている。

そして……掲載誌が青年誌になったことで、登場人物が「大人」になっているのである。
A先生の分身である主人公「満賀道雄」は、編集者にキャバレーのような夜のお店に連れて行かれてドキドキしたり、水商売の女の人を「聖地」トキワ荘に連れ込んだり……。少年漫画である『まんが道』では描けなかったような描写も数多く登場する。
満賀と才野の漫画家コンビ「満才茂道」(≒「藤子不二雄」)が、連載に四苦八苦しながらも漫画家として成功していく一方で、別の道を選んでトキワ荘を去っていく者もいる。結婚して、トキワ荘をでていく者もいる。
『まんが道』の続編でありつつも、大人に向けての『まんが道』の「語り直し」でもあるのだ。

また、『愛しり』と『まんが道』では、「主人公」もちょっと違う。
『まんが道』は基本的に満賀道雄が主人公であるものの、実質は「満才茂道」、すなわち「満賀道雄と才野茂のコンビ」がこれからどうなっていくのかという「2人の物語」であり、才野は大きな存在感を放っていた。相棒の才野が行った判断や行動でストーリーが進むこともあり、いわば「パートナー」であり、「もうひとりの主人公」的な立場であった。
 ところが、『愛しり』では、同じく主人公は完全に満賀道雄(A先生)であり、才野茂(F先生)の存在感は他のトキワ荘メンバーの寺田ヒロオや石森承太郎、赤塚不二夫らとほとんど変わらないほどに「薄い」。
もちろん、依然として満賀道雄と才野茂はコンビであり、相棒ではあるものの、基本的には満賀道雄の物語であり、『愛しり』での才野は完全に「脇役」になっている。

 さらに……ある一点において、この作品は『まんが道』とは別の作品であるともいえる。
『まんが道』と『愛しり』の究極の違いは、作者の視線の方向が正反対であると思えるのだ。
『まんが道』は「青雲の志」を抱いた少年たちが、夢を叶えるために未来に向かって、前向きに突き進んでいく、現在進行系の青春の物語である。
一方、『愛しり』は作家による青春懐古、過ぎ去った「過去」を懐かしむ物語なのだ。それは「愛…しりそめし…頃」というタイトルの言葉選びに顕著に表れている。
今まさに愛を知りつつある若い青年は、「しりそめし」なんて言葉を使わない。いくつもの愛の始まりと終わりを越えてきた大人が「愛を知り始めた『あの頃』のことを語ろう」という作品へのスタンス、作家が込めているメッセージがこのタイトルにはあるのだ。
 副題の「青春」もそうだ。昔の歌の文句にもあったように、いま、青春時代の真っ只中にいる人は、「今が青春だ」なんてことはあんまり実感できなくて、終わってみて「あの頃は青春だったなあ」なんて思うことができる。

少年漫画である『まんが道』には、そうった大人の視線がないように思えるのだ。
主人公が「少年」として造形されていることもあるだろう。
ある意味では満賀道雄から才野茂への「片思い」にも似た「憧れ」、あるいは「永遠の友情(友愛?)」への夢、のようなものを描いた物語であったからかもしれない。
 『まんが道』での2人で1人の「満才茂道」の間には、誰も入れないし、入ってもいけない。A先生は、2人で一つの名前を持ち、同じ夢に向かって邁進する、かたい友情で結ばれた理想の親友コンビ、いわば「永遠の2人」を描いてしまったのだ。
 それは、実在の「藤子不二雄」、藤本弘と安孫子素雄の2人の関係性がどうであったかは関係なく、日本中の小読者、私たち「藤子不二雄」を崇拝する子どもたちにとっては、『まんが道』とは「藤子不二雄」そのものだった。この2人は「永遠に」で、友情と夢によって結ばれた2人の間には、誰も入ってはいけなかったのだ。

しかし、『愛しり』には、少年じみた「永遠の2人」を描かない。
コンビを解散し、発表誌を青年誌に移したA先生は、それまでの友情(愛)や夢で結ばれた、不可侵の「永遠の2人」の束縛から脱し、新たに等身大の満賀道雄が、愛を「しりそめる」物語を紡ぎ始めるのだ。

では、満賀道雄のしりそめた「愛」、A先生が本当に描きたかった「愛」とは何か。
 
 『愛しり』には、多くの女性が登場し、満賀道雄はその都度心を動かされていく。
 おそらく、本当にそういう小さなときめきや恋愛はあったのだろう。
 だが、本当に描きたかったのは、それらの小恋愛ではなく、あの「大恋愛」ではなかったか。
 お互いに好意を抱いていた(と思われる)のに、悲劇的な運命によって、成就することがなかった、あの一つの恋。
 穿った見方だと自分でも思うが、私はこの『愛しり』という作品自体が、おそらく……応えることができなかった「あの女性」からの想いに応えるために描かれたものではないか。その後悔によって、この物語は描かれなければならなかったのではないか。
そのように勝手に思っている。
 その「あの女性」への想いは、作品の中に絶妙にカモフラージュされながらも、いたるところに表れているように思われる。

 その愛が、誰へのものなのか。(それが本当にそうなのか、私の考え過ぎなのかということも含めて)ぜひ本作『「愛…しりそめし頃に…」』を読んで確かめてほしい。

 もう一つ。『愛しり』は、兄のように慕っていた漫画家、純粋すぎる漫画への愛に殉じ、孤独の中に沈んでいった「テラさん」、寺田ヒロオへの鎮魂歌でもあることも忘れてはいけない。
私はテラさんが好きだ。未だに、テラさんのことを思うたびに、涙を禁じ得ない。
漫画を読む人、そして描く人の基礎教養として、みんな、テラさんのことをもっと知ってほしい。あるいはもっとテラさんのこと好きになって、もっとテラさんについて語るべきだと思っている。次の年号が「テラさん」でもいい。

 ありがとう、藤子不二雄A先生。
 「あの女性」のこと、そして「テラさん」のことを描いてくれて。
 あなたの「忘れがたき人」は、あなたが描いてくれたおかげで、私たち、みんなの心に生きることになりました。
 そして、この『愛しり』という作品が今後も読まれていくことで、先生の「忘れがたき人」は、これから100年後あるいは本当に「永遠」に、みんなの心に生きていくのでしょう。
 ありがとうA先生! いつまでもお元気で!

「愛…しりそめし頃に…」/藤子不二雄A 小学館