「害獣」が跋扈するダークな世界『亜獣譚』を通して、人の承認欲求を思う

レビュー

「承認欲求」という単語があるが、私はこの言葉には可愛げがないと思う。
語感が強すぎて「うっ」となるような。思いの鋭さが伝わってくるような。

ここ数年の話だが、文章を書く仕事をしているせいか、言葉の持つ「意味」と「イメージ」の差がとても気になる。
例えば「田中太郎」という人物がいて、身長190cmの筋骨隆々、スキンヘッドで刺青がバチバチに入っていて、12弦ギターを弾きこなし、人の心を鷲掴みにするメロディックメタルを展開していたら、どうか。
いやそれはそれで見てみたい気もするが、しかし「田中太郎」という名前だけだとその容姿は想像できないだろう。せめて眼鏡ぐらいはかけてないといけない気がする。

他者から認められたい、自分の存在をアピールしたい、という意味を持つ「承認欲求」。私なら「目立ちたがり屋」と言い換える。そちらの方が、同じ意味合いでもクラスの人気者な小学生男子ぐらいのイメージ、そして親しみが湧くじゃないか。

ただ、これは「承認欲求」という強い言葉じゃないとハマらない、という場面も多々ある。
「目立ちたがり屋」では収まってくれない気持ちがそこに感じられる、という話。

今回は、ダークファンタジーでありながら生々しい社会、現実を突きつけられるような漫画『亜獣譚』を通して「承認欲求」の話をしていきたい。
登場人物たちから伝わってくる意志の強さ、これが深みのある世界観を生み出していると、私は考えている。

亜獣譚
©江野スミ/小学館

「害獣病」という奇妙な病気が蔓延する『亜獣譚』の世界。その病にかかると人間は「獣」の姿に…いや、犬猫のような見知ったものとは程遠い、モンスターの姿に変わってしまう。
そうして野生化してしまった害獣は理性も何もかも失い、今度は人を襲うようになる。
『亜獣譚』の主人公の名前はアキミア・ツキヒコ。野生の害獣を駆除する、国の兵士だ。

ある日の森の中、いつも通り害獣駆除していたアキミア。アキミアは非常に優秀な兵士で、自分の何倍もある大きさの害獣を圧倒できる力を持つ。
しかしこの日は何者かの妨害に遭ってしまう。

そのせいで害獣に空高く連れ去られるアキミア。
空中での抵抗。その末、害獣はアキミアから口を離す。
ここから『亜獣譚』の物語は始まる。

このタイトルの入れ方よ!かっこよすぎへんか!?
まだまだ世界観やストーリーが分かっていないまま展開されたアクションシーンから、主人公らしき人物の負傷、そして空からの落下。
そこに満を持してのタイトルバック。
「『亜獣譚』始まったな…」そう思わへんか!?わしは思ったで!

気持ちの高ぶりでエセ関西弁が出てしまった私は置いといて、ではもう少しあらすじを追ってみようと思う。

落下後、気を失っていたアキミア。目を覚ますとそこにはなんかもうすごいディテールのボディのボンがボン!な、いや具体的に言うとおっぱいがボン!な美女が。
彼女の名前はホシ・ソウ。衛生兵だそうだ。
話を聞くと、行方不明の弟を探して森の中にいるそう。そして通信機器を無くし、遭難中。
さらに掘り下げてみると、その弟、ホシ・チルが害獣と戦うアキミアを襲った人物ではないか、という疑いが浮上。

もしそうだったとしたら「あなたの弟を殺さなければならない」とソウに告げるアキミア。
ソウは弟に手を出さないように懇願。
そしてそれを聞いたアキミアは、弟を助ける条件として「自分と結婚すること」を彼女に提示する。

突然何言ってんだこいつ…?(ソウさんの初登場シーンからがっつり心を掴まれている男の感想。)
ソウさんは誰ものでもないやろ!(ソウさんの初登場シーンで恋する気持ちを思い出した男の感想。)

その申し出に当然戸惑うソウ。しかしその後のアキミアの言動を見ているうちに、弟を思う気持ちから、恐怖感に苛まれながらも結婚を受け入れること。
それを聞いて喜ぶアキミア。が、ちょうどその時、大型の害獣に襲われる事態に。
負傷している自分、戦えないソウ。一旦大きな木の上に避難することに。
そしてそこでアキミアは「実は怪我で自分はもう長くない。結婚してくれるなら、今この場でセックスをしよう」と暗に告げるのだった。

この『亜獣譚』、読んだことがないのであればまずは3巻まで揃えることをオススメする。そこで物語が一つの区切りを迎えるからだ。
その内容について、またその後のストーリーについて、これ以上書くとネタバレ箇所が多くなってしまうので、このレビュー記事では割愛させていただく。

さてこの漫画の魅力の一つは「登場人物たちの感情の振り幅」だと私は考えている。
例えばアキミア。直前までけっこう真剣な、というかえげつない悪魔のような顔をしながらソウに結婚を迫っていたが、ソウが受け入れることを告げるとすぐにこうなる。

ソウにもその「振り幅」を感じる。
体を重ねている時、最初は弟のために恐怖を押さえ込んでアキミアを仕方なく受け入れいる…ように見えていたが、しかしその後の表情はまるで違う。
慈愛なのか、本音なのか。率先してアキミアを求めているようにすら思える。

1ページ前と今読んでいるページで登場人物の印象がまるで違う。
この会話でどちらが相手を説き伏せているのか、優位に立っているのか分からなくなる。

突然話が転がってしまい申し訳ないが、今「優位」という言葉を使ってみた。相手を説き伏せている、とも表現もした。
これからその意味合いを書いていこうと思う。

例えば小学校の時、クラスメイト同士のケンカは学級会の議題にあげられたのち、話し合いでの解決、を経験した方は多いだろう。
しかし社会に出ると「話し合いで解決」という流れは簡単にはいかない。
人によっては「嫌いな人と分かり合う必要はない、利害、損得、ビジネスだけの関係だ」と割り切る。
そうなると問題の「解決」はするものの「話し合い」という過程は行われない。
ある意味、大人の関係ではあるが、そうなると小学生の頃よりも相手を知る機会は減ることになる。ある程度年齢を重ねた方なら分かっていただけると思う、この話。

しかし『亜獣譚』の登場人物たちは違う。
時には暴論にも聞こえるような本音、自分の感情を曝け出す。
小学生の話し合いとも違う、社会人の大人の関係とも違う。
そして、そうやって相手の優位に立とうと思っているのではないか…そんな風に見えてくる。

もちろんそのシーンは限られるし、机を囲んでみんなで話をするわけではない。
が、それぞれがそれぞれの関係性の中で、間違いなくそういう面を見せる。
自分の考えを表現すること、自分の存在をアピールすること。
ここで最初に書いた「承認欲求」の話に繋がる。

とにかく『亜獣譚』の登場人物たちから「承認欲求」を感じるのだ。
目立ちたいとか理解し合いたいではなく、相手に自分を認めさせたい。いや、認められなくてもいいから、己の奥底に渦巻く何かを喰らわせてやりたい、というような。
そんな意思の強さ、可愛げがないぐらいの思い、人間の感情の暗く重い部分が感じられる。
例えるなら160kmを投げられるピッチャー同士の全力キャッチボールか。
いや違うか。

亜獣譚
©江野スミ/小学館

その「承認欲求」とも受け取れる「登場人物たちの感情の振り幅」。
人間味、と言うと人情味にも聞こえてしまうかもしれないが、ここは人間味で間違いないと思う。
人間味が際立っている作品、と表現したい。
黒く深い心の奥底、見えない何かを抱えている人間ばかりが出てくるのが、私の好きな『亜獣譚』だ。
性的、暴力的な表現の多い作品だが、ぜひとも身構えずに読んでみて欲しい。
そうした方がきっと『亜獣譚』の持つ魅力が存分に味わえると思う。

さて、完ッッッッ全に余談だが、作者である江野スミがリリースしてるLINEスタンプ「反省しない猫」これがめちゃくちゃ良いので、最後にこれをオススメさせてもらって終わります。
アキミアっぽいキャラが描かれた「肉を焼きすぎるサラリーマン」ってのもありますよ。タイトルの指向性が強すぎる。

亜獣譚/江野スミ 小学館