描かれざる『アオイホノオ』たち 《南河内のラピュタ》を飛びたった大阪芸大出身漫画家の系譜 –前編–

レビュー

島本和彦の自伝的青春漫画『アオイホノオ』は、80年代に漫画家やアニメクリエイターを目指す若者たちを描いた青春漫画の傑作。柳楽優弥・主演のテレビドラマ版をご覧になった方もいらっしゃると思います。

アオイホノオ
©島本和彦/小学館

主人公ホノオ・モユルは「大作家芸術大学」の学生。
将来、ひとかどの漫画家かアニメーターになってやろうという野望を抱き、大芸大の「映像計画学科」に入学した青年です。
しかし、彼の同期にはのちに『新世紀エヴァンゲリオン』を監督する庵野秀明や、彼とともに「ガイナックス」を立ち上げる赤井孝美、山賀博之、さらに同じくアニメスタジオ「ボンズ」を立ち上げる南雅彦などがいました。
彼らの圧倒的な才能に打ち砕かれ、思うように作品を作ることができないことに七転八倒しながらも、漫画家デビューに向けて頑張っていくという物語です。
「この物語はフィクションである」との断り書きがあるものの、基本的には島本和彦が大阪芸術大学で実際に体験した出来事および、のちにガイナックスを立ち上げる庵野や赤井、山賀らのグループが体験したことを描いており、まったくのフィクションではなく、事実に多少脚色や潤色を加えて、虚実をないまぜに描いているといった感じでしょう。
舞台となる「大作家芸術大学」はいうまでもなく、実在の「大阪芸術大学」がモデル。
芸術、エンタテインメントなどクリエイティブの世界に多くの才能を輩出し続ける総合芸術大学です。
『アオイホノオ』で描かれたのは、島本和彦が在籍した80年代初頭のわずか数年間だけ。しかし、大阪芸大の創立は1964年ですから、その半世紀以上の歴史の中には、本作に登場する若きクリエイターたちと同様に、それぞれの時代で、数多くの漫画家を輩出しているはず。
今回は、そんな本作で描かれることのなかった時代に、同じように創作に憧れ、葛藤し、作品を生み出してデビューしていった、ホノオ・モユルたちの先輩・後輩にあたるクリエイターたちの系譜を、卒業生である筆者がたどってみたいと思います。
(文中敬称略。また、作中でも書かれたように、才能ある人から「卒業せずにデビューしていく」という風潮があったため、「出身者」の中には「卒業者」ではない人も多数含まれています)。

1)プレ『アオイホノオ』の時代

大阪芸術大学は「大芸大」「大芸」と略されますが、地元や関係者の間では単に「芸大」と呼ばれることも少なくありません。
そのため、時には芸術の最高学府「東京藝大」と間違われたり、あるは大阪芸大が国公立の芸術大学だと誤解されてしまうこともあります。
ですが、大芸大は私立の芸術大学。どちらかというと、学科構成の似ている日本大学芸術学部が比較対象とされることが多いかもしれません。
フリーダムな校風から「大阪《芸人》大学」などとも揶揄され、実際に多くの俳優や芸能人も輩出していたりもします。
もう一つ、「《大阪》芸大」といっても、実際は「大阪府と奈良県との境」にあり、のどかな農村地帯の中に存在しています。
田んぼの中の一本道をスクールバスに乗ってしばらく行けば、こんもりとした緑の中にそびえ立つ学舎の尖塔。
それは、まるで「天空の城」のように見えます。
そのため、大阪芸大のことを《南河内のラピュタ》などと呼ぶ者も少なくありませんでした。
もちろん、本作の時代にはまだ『天空の城ラピュタ』という映画が存在しませんでしたので、そのような呼び方で呼んだのは筆者のような90年代以降の学生たちだけかもしれません。
大阪芸術大学は田園地帯のさらに奥にあり、さらに山の上にあるため、通学時には急峻な、心臓破りの坂道(通称「芸坂」)を上り下りする必要がありました。
この坂によって大学は《下界》(あるいは《外界》)と隔離されており、学生たちは一日のスケジュールを終えて「下山」するまでは、大学の中で過ごすのが常だったのです。
とはいえ、大学は6000名を越える学生が生活できるある種の山上都市。食堂・商店・図書館・書店・画材店などは言うに及ばず、自由に使える《場》も一通り揃っていますから、サボるにしても、遊ぶにしても、創作活動や表現の練習をしたりするにも、格好の環境だったのです。
本作に登場する学生たちは、都会から人里離れた田舎へ、そして地上から山の上へと、2段階の障壁によって隔離された、ある種の「創作と表現のワンダーランド」の中で作品製作に励んでいたのだ思って読んでいただけると、この作品は、さらに深く楽しめるのではないかと思います。
 さて、本作の舞台となる1980年以前にも、この大芸大出身の漫画家はいます。
 特に有名なところではアニメ化された『パタリロ』で知られ、近年『翔んで埼玉』で再ブレイクした魔夜峰央でしょう。

パタリロ!
©魔夜峰央/白泉社
翔んで埼玉
©魔夜峰央/白泉社

今日のボーイズラブの文化を先取りした魔夜峰央が、大阪芸大出身であることは意外かもしれません。
そして、もうひとり。
同じ「男同士」でも、その魔夜峰央の耽美な世界とは正反対の野郎の世界「応援団」を舞台にしたギャグ漫画『嗚呼花の応援団』を描いた「どおくまん」も大阪芸大出身だったりします。
この大阪芸大出身漫画家の源流というべき2人が、全く異なる画風や作風であるにも関わらず、一斉を風靡したギャグ漫画家であり、かつどちらもエキセントリックな作風であるという意味では共通しているのは、非常に興味深いことだと思います。

2)『アオイホノオ』の時代

 1980年当時、大阪芸大には「漫画」を教えるカリキュラムがありませんでした。
 それが実現するのは2000年代。それ以前は、「漫画家」志望の学生はそれぞれ、心に「漫画家になりたい」という野望をいだきながらも、美術やデザイン、映像、文芸など別の学科に進みながら、腕を磨いたようです。
本作の主人公・ホノオ・モユルのモデル島本和彦は「映像計画学科」(現・映像学科)に進みましたが、これは作中でも描かれるように、彼が漫画家とともにアニメーターにもなりたいという希望を持っていたからで、映像計画学科では映像制作の一環として、「アニメーション」を学ぶことができたのでした。
同期生には後にガイナックスのメンバーとなる3人、庵野秀明・赤井孝美・山賀博之がおり、ホノオが一方的にライバル視するこの3人は、途中から『アオイホノオ』のアニメ側の主人公として活躍することになります。

さて、美術学科の学生で接点がなかったためか、本作に登場しませんが、同時期の大阪芸大には、『攻殻機動隊』の士郎正宗

攻殻機動隊
©士郎正宗/講談社

も在籍していました。

『エヴァンゲリオン』と『攻殻機動隊』という90年代を代表するSF作品の生みの親が同時に在学していたのは興味深いことだと思います。

 80年代、大阪芸大からの漫画家デビューが増えていった理由として、大きなものの一つが、アニメ・漫画サークルの「グループCAS」(カス、現在はキャス)の創設があると思われます。
「グループCAS」の創設者は矢野健太郎。

ネコじゃないモン !
©矢野健太郎 / リイド社

『アオイホノオ』では、ホノオの前に立ちふさがる4回生(なのに、漫画に全てを捧げて留年しているので学年は1年)の先輩として登場し、一足先に華々しくデビューしていき、主人公のホノオに衝撃を与えます。

本作においては、ホノオが入部しなかったため、「グループCAS」のことは詳細に描かれません。
しかし、この「グループCAS」においても、作中で描かれるのと同じような、漫画家を目指す若者たちの、ライバル同士が切磋琢磨する青春ドラマがあったようです。
この時期の「グループCAS」の出身者漫画家としては田中政志や克・亜樹らがいます。
このうち、田中政志は恐竜のような生物の子どもゴンと森の動物たちとの物語『ゴン』を描き、海外でも大ヒットし、アニメ化もされています。
同じく「グループCAS」のメンバーで、早々に在学中デビューを果たしたのが克・亜樹、

「ふたりエッチ」完全版
©克・亜樹/白泉社(ヤングアニマル)

CASで彼の1年後輩だったのが、『少年ジャンプ』や『ビジネスジャンプ』で活躍した樹崎聖と、

交通事故鑑定人 環倫一郎
©梶研吾/樹崎聖
HARD LUCK
©樹崎聖

『DAWN -陽はまた昇る-』『リバーシブルマン』のナカタニD. 。

DAWN(ドーン)-陽はまた昇る-
©倉科遼/ナカタニD./小学館
リバーシブルマン
©ナカタニD./日本文芸社
 
 この二人は高校の同級生で、同じく漫画家志望で、同じ寮だったようで、ライバル同士切磋琢磨し、一歩先をゆく先輩、克・亜樹の背中を見て、闘志を燃やしたといいます。
まさに本作と地続きながら、数年の違いで出会わなかったために描かれなかった物語もあったということでしょう。
この『アオイホノオ』に描かれなかった若者たちの、もう一つの物語は、いずれかの漫画家の手によっていつか描かれることを希望します。
ほかに80年代の出身者としては、
『スターオーシャン』などのゲームデザインでも知られるMEIMUかわらじま晃(かわしま)、漫画原作者では小森陽一らがおり、また『あずまんが大王』『よつばと!』のあずまきよひこも短期間ですが、大芸大に在籍したようです。

後編は、『アオイホノオ』より後の時代の、大阪芸大の漫画家の系譜についてたどってみたいと思います。

アオイホノオ/島本和彦 小学館
パタリロ!/魔夜峰央 白泉社
翔んで埼玉/魔夜峰央 白泉社
攻殻機動隊/士郎正宗 講談社
ネコじゃないモン !/矢野健太郎 リイド社
「ふたりエッチ」完全版/克・亜樹 白泉社(ヤングアニマル)
交通事故鑑定人 環倫一郎/梶研吾 樹崎聖
HARD LUCK/樹崎聖
DAWN(ドーン)-陽はまた昇る-/倉科遼 ナカタニD. 小学館
リバーシブルマン/ナカタニD. 日本文芸社