最澄&空海は仏教界のルフィ!? 新感覚仏教漫画「阿・吽」

レビュー

最澄と空海。このふたりの名を聞いたことがない人はおそらくいないだろう。
『阿・吽』は、日本仏教の開祖と呼ばれているそんなふたりの物語である。

作者のおかざき真理先生は、広告代理店に勤める女性をテーマにした『サプリ』や、医療事務とネイルサロン経営のダブルワーク女子を描いた『&ーアンドー』など、現実世界を舞台にした女性向け漫画を得意としてきた漫画家だ。

だから最初この連載を知った時「おかざき先生が青年誌?しかもテーマが歴史物?ガチ?」と驚愕したものだ。だがそんな疑問は読み進めるうちに涅槃の彼方に消えてしまった。

阿・吽
©おかざき真里/阿吽社/小学館

膨れ上がった寺院の力が腐敗する奈良の都

まずは簡単に最澄と空海の時代について簡単に触れておきたい。

時は奈良の平城京から京都の長岡京、いくつかの遷都を経て平安京へと都が変遷しようとしていたころ。平城京は、仏教の力が政権に大きく関与するほど肥大していた。

当時、国家の庇護を受けていた仏教徒はいわばエリート国家公務員。
教典研究をメインとした学者的な要素が強く、民の救済活動とは程遠かったのだ。

また平城京は大きな川から離れていたため、水がもたらすインフラが大きく不足。

水運による食料の運搬、飲用水としての利用、排水機能などに飢え、10万人に膨らんだ人口は完全にキャパを越えてしまっていた。
街には排泄物やゴミが山積し、人々は飢え、疫病が蔓延する不衛生な都だったと言われている。

けれど仏教は、平城京を救ってはくれなかった。

時代の泥濘から芽を出したふたりの天才

さて、ここからが物語。

最澄は18歳の若さで、国家が認めた僧侶に選ばれたスーパーエリートだったのだが、膿み爛れた仏教界に絶望し、早々にキャリアを捨て比叡山に籠ってしまう。

大学寮で儒学を学んでいた7歳年下の空海もまた、俗世のドロップアウターだった。
自分の心を満たすような教えに出会うことができずに、官僚コースをフイにして山野に籠り、仏教の厳しい修行に入るのだった。

やがて、未だ相見えないふたりは、同じ方向を向くようになる。それが、唐へ渡ること。

かたや全ての人を救うための仏の教えを求めて、そして人生を賭けられるような究極の心のありかを求めて。

遣唐使の帰還成功率はほぼ半分以下と言われていたなか、嬉々として唐を望む彼ら、ふたりの天才の行動が、やがて大きく世界を変えていくことになる。

歴史の参考書にしたい名作

『阿・吽』は史実をもとにした歴史漫画ではない。
脚色や創作も入るし、サブキャラクターもかなりアク強めにデフォルメされている。

天皇業の重圧に喘ぎ、やがて最澄に救いを求める桓武天皇や、

高野山で丹生(にう/硫化水銀)を算出する隠れ里のまとめ役、にうつ様など。
彼女は丹生都比売命(にうつひめのみこと)、いわゆる国津神。

怨霊や言葉が可視化されるなど、独特の世界観で当時の日本情勢を描いている。

じゃあ完全なフィクションなのか?と言われたら、きっとそうではないはず。

止まらない災害、権力闘争、早良親王の祟りに疲弊した桓武天皇の四面楚歌っぷりが度重なる遷都へと繋がったさまや、唐に渡った空海が「人種のるつぼ」と称される世界的な大都市・唐の自由さと活気に触れ、やがて全く新しい形の教え「密教」を学ぶようになったさまなど、ややこしくて難しい歴史が一流のエンターテインメントとして鮮やかに描かれている。

自分の子どもが日本史を学びはじめた時、そっと参考書として机の上に置いておきたいほどだ。一気に歴史の動き方がわかる。

仏教界を開拓していくアドベンチャー物語

『阿・吽』を読んでから、最澄と空海、その認識が大きく変わってしまった。

宗派の教祖……なんて、自分とかけ離れたところにある偉人としてとらえていたが、混沌を照らす光を求めて異国へとを渡り、周囲を巻き込みながら日本の仏教概念そのものを変えていくふたりの天才による冒険活劇。

海の向こう、まだ見ぬ境地にある真理を求めて船を漕ぐ。世界が違うけれど、ひょっとして最澄と空海は仏教界のモンキー・D・ルフィなのでは?

どの世界においても、革命児は美しく、カッコよく、孤独な生き物。はじめて『阿・吽』を一気読みしたとき、思わず頭を抱えてしまった。

いやもう、めっちゃおもろいですやん……。

「歴史モノは苦手だ、まして仏教詳しくないし」と敬遠するのは勿体ない。海賊王よろしく仏教という大海原を駆け抜けていく孤高の天才たちの生き様に、きっと背筋が粟立つはずだから。

阿・吽/おかざき真里 他 小学館