生きづらいな、と思ったら読みたい漢方系漫画『違国日記』

レビュー

私は、大学生のころから「フットワークの軽い根暗」というキャッチコピーを自分につけている。
飲み会やイベントが好きで、だれかに会うのはうれしいし呼び出されれば可能な限りどこにでも向かう。
一方、家に引きこもることも大好きで、好きなだけ漫画を読んでアニメを観てお絵かきをしていたい。「だれにも会いたくないなあ」なんて思うこともしょっちゅうで、そんな自分の心の中の陰陽なギャップを自覚する時、他人との関わり方が下手なのではないかと不安になりもやもやする。

最近、そんな気持ちをすっきりさせてくれた漫画がある。ヤマシタトモコ先生の『違国日記』だ。

違国日記
©ヤマシタトモコ/祥伝社フィールコミックス

ヤマシタトモコ先生は同人活動ののち、2005年にアフタヌーン四季賞を受賞してデビュー。BL・女性誌・青年誌と幅広い作品を生み出している。どの作品を読んでも、人の本音を描くリアリティが凄い。コミカルなシーンもシリアスなシーンも巧みに演出する彼女にファンは多い。(オタクがばれない服が欲しいためのコメディ・ファッションエッセイ『裸で外には出られない(https://comic.k-manga.jp/title/106149/pv)』と女刑事が大量殺人犯と対峙するホラーサスペンス『無敵』が収録されている『運命の女の子(https://comic.k-manga.jp/title/103378/pv)』を読み比べてみてほしい。振り幅の大きさにびっくりする。)

それでは『違国日記』を紹介しよう。これは、特効薬ではないけれど、じんわり心をほぐしてくれる漢方のような漫画だ。

自分と他人は違うというあたりまえ。

『違国日記』は両親を交通事故で失った中学三年生の田汲 朝(たくみ あさ)と、朝の母親の妹である小説家の高代 槙生(こうだい まきお)が同居する物語だ。
槙生は姉のことが嫌いであり、姉の死を悲しむかと聞かれたときもはっきりと悲しくないと言う。

けれど、親戚間をたらい回しにされている朝を見過ごせず同居をすることを決意する。親戚同士が孤児となった朝を押し付け合うような空気の中槙生はただ一人、朝に「一緒に来なさい」と声をかけたものの実は人見知りであり、傷つきやすい性格らしいのだった。

一方朝は「大人も傷つく」ことに驚く。私は読みながら「いやいやいや、あたりまえだろう」と思う。こんなことを自分が中学生に言われたら、「何言ってんの?」とさえ言い返してしまいそうだ。
しかしさらに驚くべきは槙生の返答だ。その発言を飲み込むだけでなく、「あたりまえってことは何もないね」と自分自身にも言い聞かせたのだった。

槙生はいつも自分に素直だ。だが決して相手を踏みにじらない。

朝は嫌いな姉の子供だが、15歳という思春期の少女でもある。周りの環境に影響を受けやすい年頃の朝に対して槙生は、子供扱いすることなく同等に、嘘のない言葉を丁寧にぶつけていく。自分と他人との違いをあたりまえだと心得ているのだ。

15歳で両親を失くした朝の孤独。

突然両親を失くし不安定になっている朝の様子は日常の中、いろいろな形で顔を出す。
両親がいない事を考えたら力が抜けて手にしていたフォークを落としてしまうこと、物事をぽかんと忘れて日記が書けないこと、気がつくとよく眠ってしまうこと……。

そんな朝の不安定な様子を槙生は敏感に汲み取り、慎重に接していく。

槙生に勧められ日記を書こうと試みるもノートの前で静止している朝は、「ぽつーん ぽかーんとしちゃって何を書きたかったのか」わからないと告げる。

それを聞いた槙生は書く内容を考えるわけでもなく、がんばれと応援するわけでもなく、ただそのことを受け容れる。「うん」「わかるよ」と。そしてその「ぽつーん」と「ぽかーん」の感覚を「孤独」と言語化するのだ。自分でもわからない感覚を言語化してくれる人の存在は、とても大きい。

孤独は家族と離れたときに感じることが多いのかもしれない。一人暮らしで独り言を発していたとき、外食に誘える相手がいないとき、意外と生活の中で砂漠に立っているようなことは多い。

母を失くしたことにより生じた心の傷と姉を失くし、思い出される過去に疼く心の傷。それぞれの二人の傷が今後どのように癒えていくのかがこの作品の見所であり、その経過に心が絆されるだろう。

小説家である槙生の言葉の処方箋。

ヤマシタトモコ漫画といえば言葉の力強さだ。特に今回の主人公・槙生が小説家ということもあり、言葉のセンスがより光っているように見える。
例えば朝の友達のえみりから「最近どう?」というラインがきたことについて槙生は
「いかにも心配そうに聞くのもなんでもないふうに連絡するのも難しい『最近どう?』って
……その全部を詰め込んでくれたみたいな」と言葉にし、「優しい」と解釈する。

そのセリフから、えみりが何度もスマホをタップして文字を書いたり消したりしている様子が想像できる。何気ない一言が実は何気なくないことは案外たくさんあるのかもしれないと思う。小説で物語を作り出す槙生だからこその考え方だ。

また朝の家での遺品整理のシーンでは、「来週中」と記された書類に「来るはずだった『来週』」があることを感じたり、ベランダにかけてあるタオルを見て取り込まれるはずだったと思ったり、生きていた人が突然いなくなったことを繊細に描いている。

朝は遺品整理の最中にふと自分が、両親がいま生きているかのように話していることに気づく。「あたし、おかーさんのこと現在形で話してるね へんなの」とつぶやく朝に槙生は英語文法の「過去分詞」を用いて、続いているものもを強引に断ち切る必要はないと言う。
その語りはまさに心の処方箋だ。

槙生は朝の両親が失くなった直後、感情の整理がついておらず「悲しい」のかもわからない自分の感情に不安を抱いた朝にこう伝える。

「あなたの感じ方はあなただけのもので、誰にも責める権利はない。」

この言葉は、私にも響いた。人と関わりたいと思う「フットワークの軽い」自分も、関わりたくないと思う「根暗」な自分も、両方自分であることが肯定されたようで安心できたからだ。

きっとあなたも、この漫画の中に肩の力が抜ける言葉を見つけられるはずだ。

違国日記/ヤマシタトモコ 祥伝社フィールコミックス