絶世の美少女、友達が0人です『古見さんは、コミュ症です。』

レビュー

漫画『古見さんは、コミュ症です。」で使われている「コミュ症」の文字は、ちょっと変わっている。この漫画でしか出てこない造語だ。
本来ネットで使われているのは「コミュ障」「コミュニケーション障害」。「コミュニケーション障害」は、実際ある病気の名前。最近はネットスラングで「コミュ障=人としゃべるのが苦手な人」と使う場合が圧倒的に多い。
 
この作品に出てくるヒロインの古見硝子(こみ・しょうこ)は、極端に人と話すのが苦手な子。だから、一般的には「コミュ障」と表記されるかもしれない。けれどもこの漫画はあえて「コミュ「症」」を使っている。障害ではないよ、乗り越えられるものだよ、という優しい視線を感じる。

古見さんは、コミュ症です。
©オダトモヒト/小学館
 

誰もが振り返る美少女・古見さん

古見は誰が見てもハッとなるほどの超美人。男女問わずみんなから大人気。
だからこそ偶像視されてしまい、「コミュニケーションが苦手」という本当の自分を知ってもらえない。人は周りにいっぱいいるのに孤立する、という悲しい状況に立たされている。高嶺の花は、いいことじゃないらしい。
 

 
ごく普通の少年・只野仁人(ただの・ひとひと)も、最初は彼女の美貌にうっとりしていた1人。一躍学校のマドンナになってしまった彼女を、みんなはヨイショしまくる。とても只野が親しげに近づける雰囲気はない。しかし、彼だけは見抜いていた。「もしかして、人と話すのが苦手なんですか?」
 

 
美貌が強すぎて、彼女の周りに人はたくさん集まるけれども、本当のことを話し合える友達は1人もいない。只野が初めて彼女の気持ちに触れた時、古見は対人関係における自分の辛さや恐怖を、ものすごい勢いで黒板に書き連ねていく。
誰よりも繊細で、言いたいことが多くて、寂しがりやな彼女のことを知った只野。只野は彼女の本音に触れた1人目の人間。古見の初めての友人になった。
 
只野は気遣いができ、適度な距離も取れる、人間関係のバランス感にすぐれた少年だ。古見の苦しみの告白の文を見た時、彼は声ではなく、一緒に黒板に文字を書いた。彼が相手の心にずけずけと踏み込まず、並んで寄り添うだけでコミュニケーションをとることができる少年なのがわかる名シーンだ。
彼と結んだ友情をスタート地点として、古見の「友達を100人作る」計画がはじまる。
 

古見さんと、愉快すぎる仲間たち

 
かつてひとりぼっちだった恐怖心もあって、なかなか人との会話に踏み出せない彼女。だが、只野の献身的な協力で、少しずつ友達が出来ていく。
友達として登場する子は個性的な面々ばかり。
誰とでも仲良くなれるコミュ力の権化、ただし性別氏素性は不明のままのパリピの長名なじみ(おさな・なじみ)。古見に激しすぎる恋愛感情を抱いて暴走し、本気で古見に怒られたことのある唯一の少女・山井恋(やまい・れん)。あがり症でプレッシャーに弱いメガネっ子の上理卑美子(あがり・ひみこ)。中二病をこじらせてしまっているがゆえに、ぼっちになっていた中々思春(なかなか・おもはる)。マイペースでおっとりしすぎているがゆえに、周囲の会話と噛み合わない尾鶏楓(おとり・かえで)。強面で体格が良いので、皆に恐れられて避けられているが、古見さんに負けず劣らずのコミュ症な少年・片居誠(かたい・まこと)。
 
みんなどこかしら、気持ちが伝えられず、すれ違ってしまう不器用な面々。ディスコミュニケーションがトラブルを生み続ける。ところが古見の「なんとか友達になりたい」という思いと、影で支え続ける只野の立ち回りで、少しずつみんなの仲は打ち解けていく。
 
古見の会話への苦手意識は、他の人に簡単には伝わらない。けれども自分の思いをきちんと伝えようとするがゆえの「コミュ症」なので、その誠実さが伝わる相手とは仲良くなっていく。友達100人作る目標は、ほんのちょっとずつ達成されている。
 

背伸びせず自然体で

 
只野は感受性のアンテナが高くて相手の気持ちがわかる存在。彼なしでは、古見に友達はできなかっただろう。
古見は只野に対して、友達以上の感情を抱いているのは気づいているらしい。ただぼっち経験が長かっただけに、「恋愛」についてはさっぱりわからない。
 
周囲の一部の人間は、古見と只野がほぼ常に一緒にいるのを見ているので、彼女が只野に惹かれているのはすでにわかっている。8巻では修学旅行中に、同室の女子に詰め寄られる。
「一緒にいて落ち着くとか、でも時々ドキッとしたり、ふいにその彼のことを考える時間があったりする人なんじゃない?」
そう言われてからの、彼女の自覚スピードははやい。
 

 
他の子は割と、古見を偶像視したり、ずけずけと踏み込もうとしたりする。悪気はないのだ。ただ相手も自分も気を使いすぎるので、一緒にいて疲れてしまう。
しかし只野は、ナチュラルに気遣いできる人間だ。彼女をフォローすることに対して、「無理をしている」という仕草を一切見せない。彼の「普通」を貫いてきた生き方が、そのまま出ているんだろう。きっと、努力しているという感覚はあまりないはずだ。
「一緒にいるのが幸せ」でありたい。でも「一緒にいるのが普通」になるのは、とても難しい。
 

 
古見は基本しゃべらない。伝えたいことがあったら文字で書く。だからコミュニケーションペースがとても遅い。只野は彼女のペースに自然にあわせる。お互い惹かれ合っていることはなんとなくわかっても、それをどうこう急ぐこともない。友人には「熟年夫婦かよ」と言われているが、只野は古見のテンポを「彼女のいつもどおり」に導くことが出来、受け止めてくれる。見ていてとても安心できるキャラクターだ。
 

 
友達が増えてきてからは、ラブコメディの要素が強くなりはじめた。特に古見の只野への思いは加速気味で、ニヤニヤもの。
ただし、あくまでも物語は古見のペースで描かれる。古見と只野がゆっくりと気持ちを確認しあい、共に歩みを進めながら、他の人とのコミュニケーションの輪を広げる様子を、スローペースで楽しみたい。
 
 
古見さんは、コミュ症です。/オダトモヒト 小学館