愛されることは気持ち悪いし、セックスは気持ちよくない。“ふつうの幸せ”に中指を立てるような『ひもとくはな』という作品

レビュー

目を見て「好きだよ」と言ってくれて、困ったときは助けてくれて、いつだって私のことを大切に考えてくれる。少女漫画の王子様は、いつだって優しい。それがSっ気のある素直じゃない王子様だとしても、結局最後は助けてくれるし、根本的には主人公のことが好きだったりする。

よく「少女漫画の読みすぎだよ」なんて揶揄を耳にする機会があるが、そういう場合きまって女性が男性に期待しすぎていることが原因だ。小学生の頃から教科書よりも熱心に少女漫画を読んできた私にとって、そういうセリフが的を射ているのはわかる。しょせんあれはファンタジー。あんな男はいない。
 
もっと言えば、あんな男を気持ち悪いと思う女性もいる。
 
そもそも男性からの好意自体が気持ち悪いと思う女性もいる。男に大切にされたいと思っていない女だっている。誰かと付き合いたいとも結婚したいとも思っていない女だっている。『ひもとくはな』は、そういう“ふつうの幸せ”に対して中指を立てるような作品だ。
 

ひもとくはな プチキス
©ルネッサンス吉田/講談社
 

自傷行為のようなセックス

 

 
当作品の主人公は、誰とでも簡単にセックスをしてしまう、世間一般的にみたら単なる“ビッチ”である。それは高校生時代からの筋金入りで、彼女がいると知っていても体を求められたら同級生とセックスをする。それがばれて関係を持った男の彼女から顔を殴られても、特に罪悪感をもつこともない。
 
しかし、彼女には根深い苦しみが存在していた。それは、誰かから好意を抱かれると、気持ちが悪くなってしまうということだ。
 
彼女にとってセックスとは、ある意味自傷行為に近かった。セックス自体に悦びを感じない。自分のことが嫌いで、だから自分のことを好きになる男も嫌いで、自分を適当に扱う男に好感をもつ。それが彼女の中の自己評価と一致するからだ。
 
だから、する。
 

いつ私が「結婚したい」って言った?

 
彼女は心惹かれたとある女性の影響で、漫画を描き始めることになる。彼女への想いは、友人や憧れの先輩を超えた、嫉妬が生まれる恋愛感情に近いものがあった。だからといって、そこからどうなりたいのか、といえば特に願望があるわけでもない。
 
とにかく、男から性的な目で見られることに嫌悪感を抱く主人公。同様に、女性から性的な目を向けられることも、恋愛感情を抱かれることも違和感を感じていた。それはひとえに彼女の自己肯定感の圧倒的な低さによるものではある。物語の中ではときに、男性と女性の結婚を当たり前とすることや、社会的な性別に対して違和感を感じるシーンがある。
 

 
婚活・恋愛市場は今日も大にぎわい(のように見える)で、30歳も近くなると、途端に「いまの恋人と結婚を考えているのか」とか「何歳までに結婚したい?」なんて話ばかりが増える。恋愛結婚が人生の必須科目のように語られる。
 
でも、誰かと恋愛をすることが当然で、セックスは気持ちがよくて、好きな人と結ばれるのは幸せで、いい歳になったら結婚する、って誰が決めたんだっけ? それこそ少女漫画の読みすぎじゃない?
 
好きな人はできても愛情を注がれるのは気持ちが悪くて、セックスは大して気持ちよくない、そう思う主人公が結婚を願う道理はない。
 
彼女が幸せで満ち足りた生活を送っているとは言い難いが、それなりの生きづらさを抱えながらも、これしかないとしがみつく仕事があり、ときに人の優しさに触れながら、彼女は生きることを選び続けている。
 
その圧倒的な息苦しさを感じる日々の中で、彼女は決して自殺という選択をとらない。生きてやる、と、もはや意地になりながら歩みを止めない。
 
物語で描かれる彼女は、かなりクズ的な言動が目立つ。だから読む側にとっては、彼女の苦しみは単なる甘えのように思えるかもしれない。
 
しかし、私はむしろ彼女から、世間から当たり前のようにヒロインの位置に当てはめられそうになることに対して抗い、自分の心に正直に生きる、むしろヒーローめいた勇気すら感じるのだ。
 
彼女を見て(もしくは現実世界で彼女のような存在を見て)、もし、「こじらせだ」とか「甘えだ」というような人がいれば、こう言いたい。
 
女がいつも王子様を求めていて、愛されたがっていて、結婚したがっていると思うなよ、と。
 
 
ひもとくはな プチキス/ルネッサンス吉田 講談社