「ないないづくし」だから味わい深い 日常系グルメマンガ『まかない君』

レビュー

見渡せば、あっちもこっちもグルメマンガ。
 
近年では“朝食”や“コンビニ”などテーマを絞ったものから、エルフや人魚などが登場する異世界モノまで、じつに幅広い切り口のグルメマンガが乱立している昨今。「おすすめのグルメマンガは何?」と聞かれた時、必ず私はこの『まかない君』を挙げるようにしている。

 

まかない君
©西川魯介/白泉社(ヤングアニマル)
 
しかし「ん〜なんか、あんまりわからなかったかも……」とリアクションされることも多く、そのたびに肩を落としていた。いや、めちゃくちゃ面白いんだよ『まかない君』。

山場がないからこそ、隠れた秀作になっている

 
「あんまり……」と感想を述べる人は、『ダンジョン飯』でライオス一行が竜に立ち向かったり、『忘却のサチコ』で幸子がご当地グルメをむさぼって恍惚の境地に至ったり、いわゆる物語の山場を期待していたがゆえにそういう思いを抱いてしまうのではないだろうか。
 
『まかない君』は、そういった山場は一切登場しない。ちなみにどんなストーリーかというと、主人公の浩平が大学進学をきっかけに、なにかの研究職の凛、小説家の佳乃、浩平が通う大学のひとつ先輩である弥生、三姉妹の従姉妹が暮らす家に居候をはじめ、そこで三姉妹のまかない係よろしくご飯をつくるというものだ。
 
本当にそれだけだ。
 
「グルメマンガ好き」という人も、意外と『まかない君』は知らないということがよくあるのだが、これは後述する山場のなさが影響して、いわゆる“隠れた秀作”と化してしまっている。
 
だからこそ、こうした作品の素晴らしさを熱弁できるのは嬉しくて仕方ない。いまから説明するから!みんな聞いて!

ないないづくしの日常系、だがそれがいい。

 
さきほど物語の山場がないと言った『まかない君』だが、ご飯に対するリアクションも見事にデフォルメゼロなのである。「おいっしー!」と叫んで背景に花が咲くこともないし、涙やよだれをたらして美食に浸ることもない。「うんおいしい」とか「五臓六腑にしみ渡るね」とか、いかにも静かな感想が食卓にこだまする。

居候から一夜明けた日の朝ごはん。余った卵の白身を活用したあんかけ。
 
そんなこんなで『まかない君』はある意味、ないないづくしのグルメマンガなのだ。だが、それがいい。だって、毎日の食卓なんてそんなもんじゃないだろうか。
 
浩平がご飯をつくる。三姉妹たちはただ「おいしいねー」といいながらそれをおいしく完食する。それでいいのだ。紆余曲折のストーリー展開や、大きなリアクションがない、食卓に特化した“日常系”が広がっている。だからこそ、隣の食卓を教えてもらうような、じつにのほほんとした気分で読み進められるのがこの作品である。
 

キャラの好みがわかる等身大の料理

 
そして、登場する料理もじつに“日常系”なのがこの作品。スーパーで安売りしていたものや、家にあった缶詰や乾物をうまく活用する話が多いのはもちろん、じつにキャラクターの好みが料理に反映されているのが興味深い。
 

毎日の家庭料理なので諸処でお手軽アレンジが入る。
 
たとえばニンニクの芽を「芽は取らないと毒があるとか焦げて苦みが出るとか言うけど気にしない ゆっくり炒めれば焦げないし だいいち面倒だしもったいない」とざくざく切っていったり、季節のフルーツをジャムにして、おやつに使うだけでなく焼いた肉のソースに活用したりする。
 

なにかとジャムを作りがちな浩平。皮を入浴剤として使うなど抜かりない。
 
また、鶏肉の皮は取り除いてから調理するところ、「一発で味が決まるから」とすし酢を多用するところなんかも特徴である。めちゃくちゃ家っぽい。きっと浩平は鶏皮が苦手なんだな……なんて気づくたびに、彼の毎日の食卓におけるポリシーともいえない些細なこだわりが窺い知れて微笑ましい。
 

鶏肉や厚揚げ、ゆで卵が入った煮物に切り干し大根のサラダなど、特別じゃないメニューが心に沁みる。
 
そんな、小さな小さなこだわりをもってつくられる料理はいかにも“家庭の味”然としたたたずまい。決してシズル感のあるメニューではないが、これ家で食べたいなと思わせるものばかり。家庭的な料理で彼氏の、あるいは彼女の胃袋を掴みたい人は、レシピサイトよりも、このマンガを参考したほうがいいような気さえしてくる。
 

リアルな音を書き出すオノマトペ

 
さて、ないないづくし、と表現したのだけれど、『まかない君』にも特筆すべき個性がある。それは調理時の擬音の幅広さ。
 
カレーを炒め煮にしているとき「ジブ ジブ」と書かれているのが気になった。食べ物を焼く音といえば「ジュージュー」が一般的だろう。私はけっこう日頃から料理をするタイプなのだが、似た料理をつくっている時にフライパンに耳をそばだててみた。
 
ジブジブ、ジブジブ……言ってる!ジブジブって言ってる!
 

擬音を読むだけで、火加減や食材の状態が想像できる。
 
確かに弱火で火を入れているときは「ジブジブ」なる音を立てているのだ。また、エリンギを縦に切るときに「フパス プパス」、塩サバを皮目から焼くときに「ジピ ジピ」など、実にリアルな音が表現されている。この気づきを作品に落とし込む作者のセンスよ……。

このシーンを見た瞬間から、エリンギの薄切りに使う音は「フパス」以外に考えられなくなった。
 
これは作者も料理をしていて、なおかつその食材が発する音を繊細に聞き取っているからではないだろうか。実際、Web連載時のあとがきは作者自らによる「作ってみた」レポだった。形骸化されたイメージを脱して、じつにリアルなオノマトペが展開しているのが読みどころのひとつである。
 

額縁に散りばめられた小ネタにも注目

 
さらに作中、とくに食事シーンに散りばめられた小ネタの奥深さにも注目したい。とくに小説家である佳乃ゆえの言葉遊び、これがじつにヒネリが効いている。例を挙げれば、第4話でチャイを味わう佳乃が「砂糖にスパイス、それにすてきなものぜんぶ……」とつぶやくのだが、これはマザーグースの一節。第28話では浩平と「ははぁ……バターを落としなすったね?」「ふだんはこんなまねをしないことだが、 身体に骨を折らせたときは、ふしぎにうまい」と汁物に対してやりとりをしている。池波正太郎の小説『仕掛人・藤枝梅安』のセリフのパロるなんて、高尚なやりとりだ。
 

浩平と佳乃は小説や落語、クトゥルフ神話などに造詣が深い。
食卓がある和室に飾られた額縁が、いちいちシーンに合わせてその内容を変えてくるのもニクい。半熟卵に喜ぶ姉妹たちの後ろに掲げられた標語が「オヴィラプトル」。マズい料理について話す後ろに「ジャイアンシチュー」。朝食について話す後ろに「朝には紅顔ありて夕べには……」。知らない人にはちんぷんかんぶん、知っている人は思わずヌフフッと笑ってしまう、ウィットに富んだ小ネタが随所に散りばめられているのも追ってほしい。
 

映画「太陽がいっぱい」をもじって「大腸がいっぱい」。作中にはさまざまな映画やマンガのパロディが登場する。
 
大きな山場もなければ、キャラのリアクションもさっぱり。「ないないづくし」だけど諸処に愛おしい個性がキラキラと光るグルメマンガ、それが『まかない君』だ。読み込めば読み込むほど、しみじみとした面白さが理解できるようになってくる。ぜひふとした瞬間に、何度でもページを開いてほしい。
まかない君/西川魯介 白泉社