「なんで一生懸命働かないといけないの?」という疑問に対する一つのアンサーが『働かざる者たち』にはあった

レビュー

「働きたくない」が口癖になったのは、いつからだろう。ちょっと疲れると「働きたくない」とぼやきつつ、なんだかんだ言って仕事をするのはやめていない。というよりは、やめる勇気がない。来月の家賃が払えなくなるからだ。むしろそれ以外に何か理由あるかな、と思う。もし明日5億円手に入ったら、私は仕事をしているのだろうか。

サレンダー橋本の描く漫画『働かざる者たち』には、もはや「働きたくない」とぼやくどころか、「働かない」という確固たる信念を感じるような人々がたくさん出てくる作品だ。出世よりも窓際を選んだ彼らは、しかし彼らなりの人間ドラマや葛藤がある。

働かないやつの生き様を覗くことで、きっと私たちは、おのずと自分の仕事に対する向き合い方を考え直すことになるはずだ。

働かざる者たち
©サレンダー橋本/エブリスタ

働かない働きアリにも、様々な種類がいる。

主人公は新聞社の技術職のシステム部門で働くかたわら、副業でも漫画も描いているサラリーマンだ。新聞社というと多忙なイメージがあるが、職種ごとにまるで事情が違う。彼のいるシステム部門は、サボろうと思えばサボれるし、記者のような重要な責任ももたない、中途半端に楽な部署だった。

そこで彼は、会議中に漫画のネタを考えたりしてうつつを抜かしている。だからといって完全に仕事のやる気がないのかというと、それも違う。漫画家一本でやっていく勇気はなく、社内では同期が花形の記者として出世していくのを横目にコンプレックスを抱えているという、どっちつかずの状態なのだ。おまけに、彼は流されやすく、中途半端に責任感もあるため、自分のことは棚に上げてサボっている人に怒ったりする始末。この作品は、そんなセコくて未熟な青年が、社内で働かない人たちと出会い、自分の働き方をなんども考え直して行く物語である。

この作品の中に出てくる、「働かないやつ」の区分けが面白い。作業を「中継」するだけで実際は何も仕事をしていない(が、すごく働いているように見える)販売局の風間は、主人公に働かないやつには3パターンあると語る。

一つ目は「アガリ型」。出世の先が見え、評価を完全に諦めた中年に多く、業務時間はソリティアをしたり、ただ右から左に中継したり、責任を負わずに今のポジションを死守しようとする。

二つ目は「スネたガキ型」。自分の能力に対する評価に納得がいかず、常に不満を抱えている。子会社や高卒、派遣など組織内で立場が弱い人間が多く、口癖は「これは私の仕事ではありません」。

三つ目は「成果泥棒型」。部下や同僚の成果を自分のもののようにアピールし、なんの努力もせずに出世していくタイプだ。

いずれのタイプもこの作品には登場する。しかし、たとえば、一見「スネたガキ型」の子供じみた仕事をしない言い訳も、彼らが辿ってきた人生やおかれている状況を知ると、「まあ、働きたくないと思うのも仕方ないよな」とどこか納得してしまったりする。

要は、働かない人たちには、「ただ面倒臭いだけ」というよりは、何かしらの正当な理由があったりするのだ、というのがこの作品で描かれている実態である。

働く人も働かない人も、そこに「正当な理由」はあるのか?

コンプレックスだらけで流されやすい主人公は、働かないやつの言い分を聞くたびに自分の意思や生き方をコロコロと変え、そのたびに痛い目をみる。ちなみに、彼自身もなかなかのクズなのであまり心は痛まない。ただ、そんな彼なりに自分の仕事との向き合い方を試行錯誤しているのは事実だ。

この作品には様々なタイプの働かないやつが登場するのだが、彼らの働かない言い分を聞いていると、「そもそもなんで働かないといけないんだっけ?」と疑問が生まれてくる。彼らに「なんで一生懸命働かないといけないの?」と言われたら、私は正当な返答をすることができるだろうか。たとえば、会社側からすれば「利益を出せ」と言いたくなるかもしれないが、それはあくまで会社側の言い分だ。社員からしたら、給料も変わらず、自分のやりたい仕事もできず、どれだけ頑張っても先が見えているならやる気も失ってしまうだろう。

この「なんで働かないといけないんだっけ?」という疑問に対して、当作品はひとつの回答を示している。それは、実際に作品を読んで主人公の行く末を見届けてから考えてほしい。

花形の記者になれず、システム部門でやりがいの感じられない仕事をし、兼業漫画家として中途半端に漫画を描き、人の言葉に流され嫉妬を感じている有能な同期にひどいことを言ったりしていた主人公は、最終的にその同期に謝るのだが、彼からの返答が印象的なのだ。

働かないやつも、働くやつも、堂々としている人に共通するのは、そこに自分納得できる「正当な理由」があるかどうかだ。人の意見に流されてばかりの主人公は、あるとき「記者の書いたジャーナリズムの記事なんて誰も読まない」と同期の記者に言ってしまうのだが、そう言われた彼は全く気にもとめていない様子だった。なぜなら、同期はそれさえも承知で、自分なりの「正当な理由」をもって懸命に働いていたからだ。

堂々と働く(もしくは、働かない)ためには、自分なりの「正当な理由」が必要なんだ、とこの作品を読んでいると感じる。他人の言葉に惑わされないくらいの、確固たる信念、のようなもの。

この作品を読んで、働きたくなるか、はたまた、働きたくなくなるか、それは読者次第だろう。少なくとも私は働きたくなった。働かないやつの姿を見続けながら働きたくなるなんて、思ってもいなかった。

働かざる者たち/サレンダー橋本 エブリスタ