戦場を縦横無尽に飛び回る魔女。戦争と恋、そして処女の話『純潔のマリア』

レビュー

もしも魔法が使えたらこんなことをする…誰もが想像したことのある例え話ではないだろうか。
私は小学生の頃、家から学校までの距離が遠かったので、ワープ移動か空を飛べたら、と思っていた。
さらに言うと「自分には魔力があって、今はまだその才能が開花していないだ。いつかはどんなことでもできるようになる。強い攻撃魔法も覚えちゃう。世界救っちゃう」という不思議な確信があった。何の確信、どういう自信だったんだろう。
大人になっても残念ながら魔法は使えなかったが、現在、車が手放せない生活を送っている。私にとっての魔法の箒は車だった。車って便利ですよね。

今回は、中世ヨーロッパの戦場を思うがままに飛び回った魔女の漫画『純潔のマリア』についてお話ししたい。
空も飛べちゃう、召喚もできちゃう、私が小学生の頃確信していた魔法の世界がそこにある。

純潔のマリア
©Masayuki Ishikawa/講談社

『純潔のマリア』の舞台は中世のフランス。1330年頃から始まった百年戦争を題材にしている。
百年戦争はその名の通り約100年という長い期間戦った、王位と領土を奪い合った内戦だ。
たびたび起こる対立する軍の衝突。そんな戦場を、主人公の魔女マリアは魔法を使ってかき乱す。
見た目からは察しづらいが、強大な魔力を持っているマリア。サキュバスやドラゴンを使役し、その戦い自体を、文字通りめちゃくちゃにしてしまう。あるものは戦線離脱、あるものは戦意喪失。
マリアはなぜ戦争をめちゃくちゃにするのか?その理由は?真意は?
それは、マリアが処女だからである。

「は?」と思われた方、すみません。言葉足らずは承知しています。
ただ『純潔のマリア』のあらすじを一文でざっくりと説明するとしたら「処女の魔女が人間同士の戦争を止めようとする話」なんです。本当に。

さて、ちょっと話が逸れてしまうが、世の中には「美魔女」という言葉がある。
調べてみると「35歳以上の女性で、魔法をかけているかの様に美しい人」のことを指すらしい。ファッション雑誌が作った造語である。
確かに、その年齢を言われて「え!?」と思ってしまうような方はたくさんいる。私が思いつく芸能人で言えば黒木瞳や杉本彩だ。私は「女性に年齢を聞くな」と言われて育ってきたのでなかなか出会う機会はないが、もちろん一般の方の中にもそういう人はいる。これを読んでくださっている方、各々にもきっと思いつく美魔女の存在があるだろう。

魔女……漫画や小説、アニメ、映画などではたびたび登場しているモチーフだと思う。そういえば絵本に出てくることも。フードを深々と被って、なんかよく分からない緑色の液体の入った壺をグツグツ煮込んでそうな。その性格は全知全能というか、全てを見通しているかのような。主人公側はまだ何も言ってないのに「あのことかい…?」と既に見知った風に指摘してくるような。

私にとっての「魔女」はそんなイメージだ。
そしてなるほど、さきほど挙げた「美魔女」という言葉にも、そのイメージは通じるものがある。
年齢を重ねてきた美しい女性。人生経験は豊富で色恋沙汰にも強い。特別話し込まなくても、全てを分かってくれる…気がする。全てを見透かされている気分になるというか。なんなら、見透かされたい。
そう、なんなら私は見透かされたい。雰囲気のある夜のバーで「あなたはまだ若いんだから…」と静かに諭されたい。悔しさ半分恥ずかしさ半分、強めの酒をあおる姿を微笑みながら見つめていてほしい。杉本彩に。

ちょっと興奮してしまったので深呼吸してきました。『純潔のマリア』の話に戻ります。
つまり私が何を言いたいのか。

ただただ、主人公マリアを「処女」と紹介するだけでは語弊があったかもしれない。
なぜ処女なのか?
理由はひとつ。ウブだから。

使い魔の一人、サキュバスのアルテミスには仕事をさせる。サキュバスなのでその仕事は、対象にこれでもかとエロいことをして骨抜きにしてしまう、というもの。
しかし自身はそういう経験がまったくない。なので、隠語の意味もよく分かっていない。

なのにこんな態度。強がっちゃってもう。

そして気になる男の子がいる。ただ、なかなかその関係は進展しない。
まとめると、そういう経験はないけど「全然、全然そういうの平気だし!」という態度を取りつつ、しかし恋には奥手。
ウブだ。ウブ以外の何物でもない。かわいい。携帯のストラップにしておきたいかわいさ。

そんなマリアが戦争をめちゃくちゃにしてしまう。もっと言うと、その戦いを引っかき回してやめさせようとする。
その理由も、ある意味では「ウブだから」という言葉で片付いてしまうかもしれない。

マリアは戦争が嫌いだ。そこに小難しい理論、持論はない。
目の前で人と人とが戦い、死んでいくこと。死んでいった兵隊たちの、残された家族。戦い自体に巻き込まれてしまった人々。
それを見たくないから戦争をめちゃくちゃにして止めようとする。シンプルだ。もっと言うと、村を襲う野盗にすら慈悲をかけることもある。

戦争というものは何故起きてしまうのか?仲良くしたらいいのに。喧嘩になっても話し合いで解決したらいいのに。相手のことが嫌いでも、そこで武器を持ち出す必要があるのか。
そう考えたことがある方、いるでしょう。私も考えたことがある。
しかし事実として、歴史上、たくさんの戦争が起こった。この『純潔のマリア』の題材になった百年戦争もそう。今現在でも、紛争している地域は存在する。
そこへ「仲良くしたらいいじゃん」という、シンプルな理屈を持ち込んでも、やはり当人たちは受け入れられないんだろう。「いや、受け入れろよ!」と思う自分、怒りの沸く自分を感じながら、今これを書いている。

マリアも同じで、さらには私にはない強大な魔力を持っている。その戦いを止める力があるのだ。
だからこそ介入して、めちゃくちゃにしている。

見る人が見れば「戦争を見るのが嫌だからやめさせたい」という理由は、子どもっぽい考えに映るかもしれない。
そう子どもっぽい。つまりここにも、マリアのウブさが現れている。
どんな複雑な理由があり起こった戦争であっても、目の前で行われる戦争を良しとできない。

この記事の前半で処女だ美魔女だと騒いで申し訳なく思う。
結局はマリアの純粋さ、素敵さ、かわいさ、素晴らしさを紹介したいだけ。それだけ。
マリアは「魔女」という言葉でイメージされる、全てを見透かしているような存在ではないのだ。
ただただ自分の気持ちに正直に生きている、ちょっと魔力が強大な女の子。
それが魔女マリアである。

余談になってしまうが、そういえば「戦争嫌い」な主人公のことを考えているうちに、北欧の海賊たちの戦いを描いている漫画『ヴィンランド・サガ』を私は思い出した。
物語の主人公、トルフィンも「戦争なんてする必要がない」という考えの持ち主だ。マリアに通じるものがある。
ちょっと調べてみると『純潔のマリア』の作者、石川雅之と『ヴィンランド・サガ』の作者である幸村誠は親交があるそうだ。
ストーリー性はまったく違うが、似た考えの主人公を描く作者同士。なんとなくお互い、シンパシーを感じているのだろうか…なんて想像してしまう。

人間の戦争に介入していることを快く思っていない天上の教会にマリアが目をつけられるところから、『純潔のマリア』の物語は転がるように進んでいく。
彼女の活躍、そして恋の行方はぜひともご自身の目で。

純潔のマリア/Masayuki Ishikawa 講談社