幼稚園児が無邪気に両親の情事を覗きこむ? 『しいちゃん、あのね』は可愛らしい表紙とのギャップにやられる

レビュー

よく、家族でドラマを見ていたら、とつぜんベッドシーンが挟まれて、両親が子どもの様子を気にしてあたふたする……なんて場面がある。実際我が家でも、幼いころはそういった「変な空気」がたびたび食卓で起きていた。

でも、子供たちは、それが何を意味しているのかわからないのがほとんどなのではないだろうか。ベッドで二人の男女が裸で仲が良さそうに眠っている、その程度の認識なのではないか。(いまはデジタルネイティヴの世代だから、もっと知識もあるのかな)

いずれにせよ、そういうときに一番慌てふためくのは、いつも“それが何を意味しているか知っている”大人の側である。「しいちゃん、あのね」は、そんな幼い子どもの無邪気な好奇心に大人が振り回されまくる作品だ。

しいちゃん、あのね
©東裏友希/日本文芸社

偶然か? 確信犯か?

この作品でよく出てくるのが、両親のセックス中にしいちゃんが乱入するシーンだ。私はそんな経験がないのでわからないが、実際に目の前で自分の両親が裸でベッドにいたら、その雰囲気で何か察したりはしないのだろうか? 

青ざめる二人をよそに、しいちゃんはいつもなに食わぬ顔でその場にどかっと腰をおろしてしまう。

ピュアといえば、ピュア。しかし、私にはいつも彼女の瞳の瞳孔が開いているように見える。作中では特にそのような描写がないので判断しかねるが、どう考えてもこれは確信犯ではないか?と思う瞬間もしばしば。両親の気苦労は絶えない。

天真爛漫に幼稚園児が歌う姿は誰も責められない

自分のことを振り返ってみると、幼い頃は無邪気に性的なワードを連呼しては友達と笑い合っていた。「おしり」とか「おっぱい」とか「うんち」とか「おなら」で日が暮れるまで笑い続けられるのは、子どもの特権なのかもしれない。しかし、それでも語彙力には限界があった。率直にいえば、幼稚園の頃の我が辞書に「クリトリス」という言葉はなかった。

作中でエッチなことに興味津々なのは、何もしいちゃんだけではない。そして、幼稚園児は恥ずかしげもなく無邪気に、爆弾を落とすようなインパクトを親に与える瞬間がある。どういう因果か、幼稚園のクラスメイトたちで頑張って演劇の内容を考えた結果、お歌で「くりとりす」を連呼するはめになってしまった。

だからといって親は子を責められない。子どもが今日のために頑張って作った歌なのだ。複雑な心境のまま、ただ時が過ぎるのを待つ両親たち。無邪気さはときに残酷である。

切ない話が不意打ちであったりしてズルい

しいちゃんの無邪気さが招くスレスレのエロコメが面白い作品だが、その無邪気さゆえに、たまにふと考えさせられてしまう話もあったりする。

大人になるとついスルーしてしまうようなことも、しいちゃんは気になってしまう。エッチで笑えるだけではなく、とつぜん胸がキュッと切なくなるような話が入ってくることで、この作品の深みとか味わいがより強くなっているように思える。

しいちゃんにとっては、エッチなことに対する好奇心も、ニュースで起きている悲しい出来事に対する興味も、どっちも同じなのだろう。両親はそんなしいちゃんにいつも、語りすぎることなく、優しく見守っている(ときにひどく振り回されてもいる)。

表紙はキュートだけど外で読むのはいろんな意味でオススメしない

可愛らしい、ファンシーな絵柄、ポップなカラー。どんなキュートなお話なんだろうと、表紙買いした人は御愁傷様。そこには絵柄は変わらずとも、かなりオゲレツな下ネタのオンパレード。

その上、両親のセックスシーンも、「そこそんなにリアルに描く必要ある?」というくらいエロティックで、正直外で読むのはおすすめできない一冊だ。

そもそもギャグのテンポもよく、声を出して笑えるようなシーンもあり、真顔で読むには辛い。外で読んでたら、やっぱり不審者である。家でこっそり、クスクス読むのが一番のような気がする。

自由奔放な暴走機関車のような、しいちゃんのエロ街道まっしぐらな姿は、一度知ってしまうと完全に虜になること間違いなし。エッチで、笑えて、たまに切なくなって、読後感は大満足の一冊だ。しいちゃんはこれからどんな風に育っていくのだろうか。私はもう彼女のこれからを見守ると決めている。

しいちゃん、あのね/東裏友希 日本文芸社