いじめと難聴。重いのに面白い。『聲の形』を読んで考える「エンターテイメント」の話

レビュー

「漫画」は「エンターテイメント」だと思う。そして「エンターテイメント」は「面白さ」だと、私は思う。
そしてその「面白さ」という言葉は、「笑い」だけを指しているわけではない。
感動ストーリーでは「泣ける」、ホラー漫画では「怖い」、ヒーローものであれば「熱い」。
その物語のテーマに沿った感情を抱けるかどうかこそ「面白さ」だと考えている。

さて、今回ご紹介する『聲の形』という漫画。読んだことがある人なら分かるだろう。
簡単に言ってしまうと、非常に重い話である。
ただ、重い設定ではあるものの、私はこの漫画の「面白さ」にハマり、全部を読んだ。
そして泣いた。

泣いた理由を説明するのは簡単だ。悲しかったから、感動したから泣いた。
でも、今回は「どの部分で私が泣いたか」を紹介したい訳ではない。
『聲の形』という漫画のエンターテイメント性を紐解きたい。そう考えている。
具体的に言うと、『聲の形』の笑えるシーンだけをフューチャーしていきたい。

その笑ってしまうシーンがあるからこそ泣ける漫画なのだと、私は思う。

聲の形
©大今良時/講談社

主人公は高校3年生の石田将也と、同い年で聴覚障害を持つ少女、西宮硝子。

石田は小学生の頃、転校してきた西宮をいじめていた。
そのいじめは、読んでいるこちらの気持ちが押しつぶされるような内容である。
しかしその後、石田の度を過ぎた言動は西宮の母親からの指摘もあり、学校全体で問題視されることに。
そして仲の良かった同級生達からも見放された石田。ついには自分自身がいじめを受けるようになる。
そのうち、西宮は転校してしまった。

時は経ち、高校3年生になった石田。いじめをしていたことへの罪の意識もあり人とうまくコミュニケーションが取れず、クラスの中で孤立している。心の殻に閉じこもっている状態だ。
しかし、自分がいじめられている時、嫌われて当然なはずの西宮だけが、自分の味方をしてくれていたことにあとで気付いた石田。彼女のことが忘れられず、謝罪と感謝の言葉を伝えたい。
そしてそれを最後に、自殺しようと考えていた。

そんな思いを抱えて、ようやく探し当てた西宮が通っているという手話サークルへ足を運ぶ石田。
そこには成長した西宮の姿が。
様々な思いが溢れ出す石田は、何故か「友達になりたい」と西宮に伝える。
これから自殺しようとしているはずの自分がどうしてそんなことを口走ってしまったのか分からず、動揺する石田。
しかしそんな彼を、西宮は受け入れるのだった。

あらすじを書いていて、胃が痛くなってきた。
鬼のように心に刺さるシーンばかり。針のムシロとはこのこと。

『聲の形』が何故心に刺さるか、と考えれば、自分の昔のことを思い出してしまうからだろう。
出てくるキャラクターたちにはそれぞれに暗い一面、過去がある。
そしてそのどれかに対して「昔の自分と同じだ…」と共感してしまう。
小学生の自分は無意識的に人を傷つけていたのではないか、傷つけられている人を見て見ぬフリしていたのではないか…。

さて、前段の話に戻るが、そんな重さが感じられる話なのに読み進められる理由を、ここから見ていこう。

エネルギッシュな罵倒である。ここまで思いっきり嫌悪感を出されると、いっそ清々しい気持ちにもなってしまう。

罵倒している少女は植野。石田の小学校時代の同級生だ。
そして罵倒を浴びせられている側の男子は永束。石田の、高校でできた初めての友だちである。
かいつまんで状況を説明すると、植野は石田に片思いをしており、こっそりラブレターを渡そうとした。
しかし手違いで永束にラブレターが渡ってしまった。
宛名のない手紙だった、永束が自分宛てだと勘違い。

そうしてこうなり、力一杯罵倒される。かわいそう。あとこのあとの永束のリアクションが面白いのでぜひ読んでください。

この植野だが、小学生時代に西宮、石田へのいじめに加担した過去がある。
自分の身を守るため、という側面もあったが、植野はそれをひどく後悔している。
しかしずっと隠していた片思いの気持ち、それだけはなんとか伝えたかった。そういう気持ちがラブレターのシーンに繋がる。
読んでいると「せっかく勇気を出したのに…」という思いと「でもこいつ石田いじめてたよな」という思いが混じり合ってしまう場面だ。

では次の話へ。

こちらも突然キレている。しかし一瞬で懐柔されている。

「なんのつもり」と怒っているのは西宮の母親、西宮八重子。
石田は西宮をいじめていた主犯格。ということで、作品に登場した時点では石田のことを非常に嫌っている。
かなりキツい性格で、西宮にも強く当たることが多く、とても怖い。厳格な母親、と言ったところか。

このシーンの説明をすると、彼女の誕生日会をサプライズで開く、というもの。
西宮と石田たちで頑張って作ったバースデーケーキ。
最初は石田の顔を見て怒っていたが、ケーキを食べてのこの感想。
実は嬉しかったんちゃうん?とニヤニヤしてしまう場面である。

この話は物語が後半に入った辺りに出てくる。
読者からすると「あのキツかったお母さんと石田の関係がついにここまで…」と感動さえ覚えてしまう。
後述するが、石田と西宮の関係は単なる同級生というよりは、家族まで巻き込んだ因縁に近いものがある。
それが…。読んでいるこちらが嬉しくなってしまうのだ。

ではもう一つ。

必死に謝る石田と、チャッカマンを手に持つ母とのやり取りだ。
右手に持ってるものが思いっきり燃えてますね。

何が燃えているのかというと、お金である。
金額はなんと170万円。それが全て燃え尽きてしまう。
母親の安堵した表情と170万円が燃える構図のギャップがシュールなシーンだ。
おかしくて、笑ってしまう。

でもこれの背景を知ると、笑ってはいけないような気がしてくる。
この170万円というお金、石田が西宮をいじめていた時に壊した補聴器の総額である。
もちろんその時石田は小学生。自分では払えず、母親に出してもらっていた。

それに対しても石田は罪の意識を感じていて、アルバイトで得た給料や自分の物を売ったお金をかき集めて母親に返そうと思ったのだ。
そして、それを渡してから、自殺しようと考えていた。
さきほどのシーンの「死ぬのやめます!!」というセリフはそういう意味である。

母親は息子が自殺しようとしているのを察して、必死に止めようとしたのだ。
それが勢い余って、自殺をやめると言っているのに、燃やしてしまった。

ただ、母親がこう言った。
「死ぬために稼いだお金なんて使いたくないもの」。この表情、このセリフ。
母親というものの偉大さ、懐の深さ、重みが感じられる名シーンだと思う。

さて、ここで話を巻き戻そう。
私は最初に「漫画」は「エンターテイメント」だと言った。
そしてこの記事で『聲の形』という漫画のエンターテイメント性を紐解きたい、ともお伝えした。
では私の考える「エンターテイメント」とは何か。

それは「緊張と緩和」である。
以前、テレビ番組を見ていたらお笑いコンビ、千原兄弟の弟、千原ジュニアが「お笑いとは緊張と緩和である」という話をしていた。

例えば、誰かが転んだ時、どういう状況であれば笑ってしまうか。
小さな子どもが転ぶ。
これは当然起こりうることだし、かわいいと思ってしまうか、心配をしてしまうか。
「笑い」というものには繋がらない。
じゃあ誰が一番転んだら面白いか?それは「大統領じゃないか」と彼は言った。
言ってしまえば国で一番偉い人が、神妙な面持ちで人前に出てきた。
そして、そのタイミングでずっこけてしまう。すると人は笑ってしまう。
これを「緊張と緩和」の例え話として喋っていた。

確かにホラー漫画で、常に隣に幽霊がいたら、いつのまにか慣れてしまう。予想できないタイミングで出てくるからこそ「怖い」と思ってしまうはずだ。
恋愛漫画で最初から主人公とヒロインが付き合っていてイチャイチャしている。それが最後まで続く。
ドラマ性も何もない。なんなら別れて欲しい。

幼い頃から漫画を読んで「面白いなぁ」と感じていたものの、私はこの話を聞くまで明確な「なぜ
面白いのか」という説明ができなかった。
なるほど「緊張と緩和」が「面白さ」であると、理解できたのだ。

そういえば、大人気漫画『ONE PIECE』の作者である尾田栄一郎は、昔『ジャングルの王者ターちゃん♡』の徳弘正也の元でアシスタントとして働いていたそう。
そしてその影響で、戦闘シーンの中にギャグを織り交ぜる手法を身につけた、という逸話がある。
それも考えてみれば「緊張と緩和」じゃないか。シリアスな戦闘シーンに、予期せぬギャグ。

これを『聲の形』からも感じるのである。
重苦しい設定、物語なのに、時折挟まる明るいシーン。
そのギャップに、私はやられてしまった。

長くなってしまったが、これが『聲の形』が評価された理由の一つだと私は考えている。
まだ読んだことのない人には、ぜひとも一読して欲しい。
きっとその中には、私と同じ気持ちを抱く人もいるだろう。

ちなみに上のコマは石田の姪っ子、マリアである。
マリアを愛でる漫画でも、ある。

聲の形/大今良時 講談社