記憶をなくした人々が静かに暮らす、ここは最後の理想郷『ラストピア』

レビュー

この漫画は、何よりもまずタイトルがいい。最後の理想郷――『ラストピア』。たった5文字の中に、本作の優しくも儚げな世界観が凝縮されている。

単行本の表紙にも、アルファベットで小さく「LAST UTOPIA」と書かれている。しかし、私にはこのタイトルの「トピア」が「ユートピア」だけでなく、「ディストピア」の意味も含んでいるように思えてならない。

物語の舞台となる架空の島・エオニオ島。きれいな景色と、料理がおいしいホテルと、いくつかのお店がある、ありふれた観光スポットだ。変わっていることといえば、住人の多くが記憶喪失であることくらい。

ラストピア
©そと/芳文社

記憶喪失なのに笑っているのか、記憶喪失だから笑えているのか

目が覚めたとき、主人公はすべての記憶を失っていた。

自分の名前が「リッタ」であること、ひとりでエオニオ島にやって来たこと、突然倒れて一晩眠っていたことを、ホテルのオーナーのエミから聞かされる。なぜ島を訪れたのかは、本人が言わなかったらしいので分からない。

宿泊客が記憶喪失になったのに、エミは特に焦る様子もない。この島ではよくあることで、エミ自身も一部の記憶が欠けたまま日常生活を送っているのだという。

記憶喪失になってしばらく経ったころ、大陸からリッタ宛の荷物が送られてきた。差出人はリッタと同じ名字。どうやら家族らしい。

島の外には、自分を知っている人がいる。けれど、島に来た理由も分からないのに、どんな顔をして帰ればいいか分からない。家出してきた可能性もあるのだから。リッタは島に残り、ホテルの仕事を手伝いながら記憶の手がかりを探すことになる。

エミを含めて、島の住人はみんな穏やかで、細かいことを気にしない性格をしている。気丈にふるまいつつも、知り合いが誰もいない環境の中で孤独を感じていたリッタだが、島の人たちのあたたかさに触れて少しずつ心の氷を解かしていく。

しかし、リッタや住人たちの笑顔の裏には常に、記憶喪失という逃れようのない事実がつきまとう。過去にとてもかなしい事件があって、今は忘れているから笑えているだけなのだとしたら、それは本当に幸せと呼べるのだろうか?

シンプルな絵柄、テンポよく挟まれるギャグ要素、そして『ラストピア』という意味深なタイトルもあいまって、コミカルなのにどこか切ない読後感が味わえる作品だ。

記憶と絆の物語

リッタたちが記憶喪失になった原因を推理するのも、『ラストピア』の楽しみ方のひとつではある。作中にいくつかのヒントが散りばめられているので、勘のいい人なら途中で気づけるかもしれない。

だが、ミステリー要素はあくまでもおまけ。本作で描かれているのは、「記憶」という、見えないけれど確かに存在するものに翻弄される人たちの複雑な感情だ。

リッタは自身の記憶の手がかりを探す過程で、島で唯一の医師であるミレもかつて記憶をなくし、半年前に突然思い出していたことを知る。

当時の体験をぽつりぽつりと語り始めるミレ。忘れていたのは、親友であり助手でもあった女性のこと。不治の病に侵されていた彼女は、最期の場所として自然が豊かなエオニオ島を選んだ。ミレは彼女と一緒に死ぬつもりだった。

思い出したとき、こんなにつらい記憶なら忘れたままでいたかったと思った。けれど、彼女との日々を振り返るうちに、こんなに大事なことを忘れてしまっていた自分を恥じた。

ミレの話を聞き終えたリッタは、あらためて記憶を取り戻す決意を固める。自分にも大切な人がいるのなら、その人が今も自分を待ってくれているのなら、思い出さなければならない。どんなにつらい記憶だとしても、忘れたままでいいはずがない。

ホテルには自称美少女の幽霊が棲みついていたり、UFOと思われる物体が墜落している場所があったりと、漫画のジャンルとしては西洋風SFファンタジーに分類されるかもしれない。

しかし、『ラストピア』に登場するキャラクターたちは現実世界の私たちと何も変わらない。忘れてしまいたいほどかなしい経験をして、心に蓋をして塞ぎ込んで、それでも立ち上がって前に進もうとする人たちの物語だ。

そうした経験をしたことがある人は、ぜひ読んでほしい。エオニオ島の住人たちは、いつでもあなたをあたたかく出迎え、背中を押してくれる。

ラストピア/そと 芳文社