きっとどこかにある、等身大の恋。『モブ子の恋』

レビュー

自分は主人公じゃない。
 
小さな頃、世界は自分を中心に回っていると思っていた。しかし、主人公と言えるような存在は他にいて、自分はその他大勢であることを段々と自覚する。
 
これは大多数の人が、通過してきた体験と言えるだろう。
 
『モブ子の恋」は、そんな大多数の「脇役」たちの恋を描いた物語だ。

 

モブ子の恋
©田村茜/NSP 2017
 

その気持ちに、名前をつけて

 
モブ子こと田中信子は、スーパーでアルバイトをする大学生の女性だ。
 
地味で大人しく、目立つのが苦手。
 
スーパーという舞台でも決して主役になれず、脇で黙々と自分の役割をこなしている。
 

 
彼女のような人間は、往々にして助けを求めるのが苦手だ。
 
それは他人の手を煩わせて良いものか、という考えが常に頭に浮かんでしまうからだ。
 
ついつい、一人で抱え込もうとしたり、自分が我慢するという選択を取ろうとしてしまう。
 
そんな中で、モブ子の無言のSOSに気づいてくれる男性が、モブ子と同い年の入江だった。
 
バイトを始めたばかりの彼女が、判断に困る事態が発生し戸惑っている時、入江は何も言わずに助けてくれた。
 
まるでそうすることが、当たり前かのように。そんなさり気ない優しさや気遣いに、モブ子が惹かれるのも不思議なことではない。
 
そうなって来ると、当然連絡先は知りたくなるはずだ。
 
同じバイト先にいて、連絡先を聞くのはそれほど難しいことじゃないが、奥手なモブ子に取っては難易度が高い。
 
だからこそ、好きという気持ちを募らせて、一歩踏み出すモブ子の姿がたまらなく愛しい。
 

 
きっと心臓は高鳴っているだろう。
 
手汗もかいているだろう。
 
連絡先を聞くということに、モブ子がどれほどの勇気を振り絞ったかが伝わってきて、応援したい気持ちでいっぱいになってしまう。
 
無事連絡先が聞けた時、彼女の気持ちに名前が付く。
 
踏み出した一歩がもたらした結果が、彼女をもう少しだけ前に進める。
 
それは今まで怖くてつけられなかった、「恋」という名前。いや、今でも怖いのかもしれない。けれど、モブ子はその気持ちを恋と呼ぶことを決めた。
 
主役じゃなくても、誰も見ていなかったとしても、モブ子は舞台にあがる。
 
踏み出していく彼女の姿は、思わずため息が漏れてしまうくらい素敵だ。
 

伝わる頬の熱さ

 
恋を自覚してからのモブ子は、これまで以上にドキドキしながら日々を過ごすようになる。
 
入江が側にいるだけで、心拍数が上がっていることは間違いない。
 
しかし自覚したからと言って、恋が急転するようなことにはならない。モブ子には、器用に恋をするような技術は無いからだ。
 
彼女は自分の恋心に未だ戸惑いながらも、その気持ちを育てていく。
 
感謝の言葉を伝えるのも、かつては気恥ずかしかった。
 
今は違う。その気持ちを伝えたいと思うようになった。
 
言葉で伝えたいという思う相手ができた。
 
ゆっくりと、けれど確実に。モブ子は恋をして、変わっていく。
 

 
自分の中の欲求に、素直になる。
 
当たり前のことのように思えるが、今まで我慢していたモブ子にとっては、大きな変化だ。
 
何とか自分の気持ちを伝えようとする姿が、いじらしくて非常に甘酸っぱい。
 
油断すると、読んでいて頬が緩んでしまいそうになる。
 
そんな読者とは対象的に、モブ子の頬はなかなか緩まない。
 
彼女の頬は、頻繁に朱に染まっている。
 
奥手で緊張しやすい性格というのも、もちろんあるだろう。
 
しかしそれ以上に、モブ子は入江への恋心で頬を染めていた。
 

 
その時のモブ子の頬は、何も言わずとも熱くなっているのが分かってしまう。
 
彼女の熱が、紙面を超えて伝わってくる。
 
言葉より強く、好きという気持ちが、彼女の頬から溢れ出てくるのだ。
 
その頬に、触れてみたい。
 
モブ子の熱に当てられて、ふとそんなことさえ思ってしまうのだ。
 

まとめ

『モブ子の恋』はどこまでもささやかで、しかしいつまでも見ていたくなるほど優しく甘酸っぱい、応援したくなる恋物語だ。
 
この世界のどこかに、こんな等身大の恋があると思えるだけで、柔らかな気持ちになることができる。
 
少しずつ心を通わせていく飾らない恋に、ずっと魅了され
 
 
モブ子の恋/田村茜 ノース・スターズ・ピクチャーズ