道満晴明は、群像劇マンガの名手だ。多くのキャラクターの視点を、短編物語として切り取って淡々と描くことで、世界全体に漂う、スラップスティックな躁と、消すことのできない悲しみを表現していく。
『メランコリア』はこの道満晴明節が全開になっている作品。各話のタイトルの頭文字はアルファベット。地球滅亡へのカウントダウンは、おそらく全26話だ。
世界はもう終わっていました
表紙の中心にいる1話「Apocalypse(終末)」の主人公は、10年間引き篭もっていた少女サトミ。彼女はずっと部屋にいたために、世界の終末に気づかなかった。窓の外を見て愕然としていたところ、飼っていた猫のモーアルがしゃべりだす。モーアルが目の前に出したのは通れば天国にいけるらしい扉。
ここで気づくサトミ。
「まだ死にたくねー!! この10年何もしなかった こんな無為に生きて死ぬのは嫌だ! せめてあと10年 10年生きたい」
モーアルがそれを聞いて開いたのは、天国への扉ではなく、普通の外に通じているだけのドアだった。
彼女の10年がなんだったのかについては、仄めかしはあるものの、詳しい解説はなし。
そもそも本当に地球が滅亡したのかすら、この時点ではわからないし、さほど重視されていない。それよりも、どうしようもない状況で、キャラクターが自分のために何をするのかが物語のキモになっている。
理不尽でどうしようもない現実
以降、話は全くバラバラな主人公で進んでいく。
「Cutthroat(殺し屋)」では、売春の元締めをしていた女子高生3人が、殺し屋の成績86位の男につかまり、奈落の穴に落とされて殺される。
「Gestalt(ゲシュタルト)」では、恋愛脳の少女が「スキ」を考えすぎてゲシュタルト崩壊し、恋愛に関わるものを見聞きすると嘔吐してしまうようになる。
「Internal organs(内臓)」では、少女が好きな男子の内臓を抜き取る技術を身に着け、自分のコレクションとして集め始める。
突拍子もない話が続くこの作品集。描かれるのは、理不尽な出来事ばかり。これに対して、理屈が正しいか否かは問われていない。12ページの短い作中で、受け入れようと拒絶しようと、自分たちの状況は変わること無くそのまま進み続け、幕を閉じる。
連鎖する世界
「Handspinner(ハンドスピナー)」では時間を一度だけ巻き戻すアイテムを手に入れた少女が登場する。彼女の知り合いの少年が、体育館で銃を乱射。時間を戻すべきか戻さざるべきかで戸惑う。
この話単体でも面白いのだが、『メランコリア』の魅力はそこからの物語の連鎖にある。
「Labyrinth(迷宮)」では家から出られずネトゲにこもっていた少女が登場する。彼女は「ハンドスピナー」回の、見えない登場人物の1人。隣の席の子が頭を撃ち抜かれて死んだのがトラウマになり、引きこもってしまったのだ。
つまり「ハンドスピナー」回で時間を巻き戻していたら、「迷宮」回は起こらなかったことになる。
それぞれバラバラな話なのに、回を重ねるに従って、「前半の話がなければ次の話は生まれなかった」という絡み合いで成り立っているのが見えてくる。
時系列がシャッフルされている全ての物語が、間もなく来るであろう、地球の滅亡という大きい出来事につながっているのだ。
タイトルの「メランコリア」は「憂鬱」の意味。
とはいえ「憂鬱」というほどそれぞれの短編は暗くはない。むしろ諦念し、センチメンタルな感情に深入りせず、開き直っているキャラクターが多い。
どうしようもなさは、道満晴明作品の魅力の1つだ。
「Apocalypse」で少女が失った10年はどうやっても取り戻せないように、頑張ることはできても、今までを変えることはできないし、地球滅亡を覆すこともできない。
なのに、自分が行った何かが、気づかないうちに他人の人生を変えている。この流れは抗うことができない。
ぜひともこの作品で、世の中のどうしようもなさの連鎖を味わってみてほしい。
そして諦念自体が、意外と人と人とのつながりのきっかけになり、次第にプラス思考に変わっていくあったかいものなのだ、という不思議な感覚を、味わってみてほしい。
『メランコリア/道満晴明 集英社』