中年の恋愛だとか、若い男に夢中になる話だとか。
『たそがれたかこ』はそんな簡単な話ではない。
実年齢に精神年齢が伴わず、焦ったり後悔したり諦観したり、そんな中でふと「生きること」への活路を探す、不器用な大人全員をボコボコに殴ってくる作品なのだ。
コミュ症で不器用でさえない中年女のうぶな恋
たかこ、45歳。年老いた母親と二人暮らし。バツイチ、子どもの親権は元夫。
どこにでもいる、不器用でさえない中年女だ。
同居している母親は天然にボケが混じりはじめ、何度言っても補聴器は付けないし、人の話なんて聞かないし、どうにも折り合いが合わない。
勤務先の社員食堂では入社半年の人達が和気藹々と話すなか、入社6年目のたかこはいまだに同僚にも敬語しか使えない。
なにかを達成することもなく、男っ気すらなくなってただ闇雲に歳を取っていく。夜、漠然とした不安に刈られて泣いてしまったり。
人生になんの抑揚も見出せなかった彼女だが、ふとしたことがきっかけで恋に落ちる。
それは、ラジオから聞こえてきた若手バンド「ナスティインコ」のボーカル、谷在家(やざいけ)光一。
はたから見れば45歳の女が20歳近く年下の芸能人に恋をするなんて……。と眉をひそめられそうなものだが、人と接するのが下手くそで、学校にも行けず、バイトも仕事も上手くいかない。家庭もうまく築けない。
でも、誰かに自分のことを見て欲しい、他者と関わりたい……。
そんなジレンマを赤裸々に語る彼に、シンパシーを感じたたかこは、心臓を鷲掴みにされるのだった。
光一への「想い」が、たかこを変えていく
顔も知らない、ラジオ越しの声だけが頼りの恋。経験豊富な人なら「それは恋じゃない」と一蹴されそうだが、はじめての気持ちがむくむくと大きくなり、少しずつ、さえない中年女が変わりはじめていく。
タワレコに「ナスティインコ」のCDを買いに行くために、ひとりでは行ったことのない秋葉原に出向き、
やけくそになってマンションの下で「バカボンのテーマ」を口ずさんでいた夜に出会った、ちょっとアヤしくて優しいおじさんと美馬のお店にふたりで飲みに行ったり。
(でも名前を聞かれた時、本名が言えず「ヤザイケ」と光一の苗字をとっさに名乗っている。イタタタタ〜、不器用すぎるわ!)
白髪だらけ、伸ばしっぱなしだった髪の毛を明るい茶髪に染めてみたり。
恋か、シンパシーか、愛情か、幻想か
そんな折、娘が体調を崩して自分と同じく不登校になった。娘への気遣い、理解のない元夫へとの接し方、相変わらず話を聞かない母、そして上手く立ち回れない自分……。
全てに嫌気がさして家を飛び出した夜、出会ったのはどこか光一に似るナスティインコ好きの少年・オーミだった。
同じく家庭に不和をかかえ、どこか不器用で、それでも自分よりはずっと自己主張ができる強い男の子。
たかこは無邪気な彼を見るたび、憧れの光一が重なって「ただの近所の子」とは思えなくなってくるのだった。
この気持ちは恋か、シンパシーか、愛情か、それとも幻想なのか。
自分らしく生きることの素晴らしさと難しさ
不器用な恋と光一の歌声を頼りに、周囲の協力も得て娘の不登校に向き合うたかこ。
紆余曲折がありながらも「好きなもの」「大切なもの」を抱えた人間は、強くなる。
物語が後半に差し掛かるにつれ、たかこがひとりの人間として踏ん張っていくようになるさまは、きっと全ての不器用さんへの応援歌。
それでも不器用は不器用なので、たかこの恋の行方は……。
自分らしく生きることの素晴らしさと難しさ、「好き」が自分の世界を変えていけること。だっさいオバサンから、少しかっこいいオバサンになったたかこの笑顔が、それを教えてくれるかもしれない。
『たそがれたかこ/入江喜和 講談社』