この世界はマンガで、主人公は僕。掟破りなメタ作品『わたしの宇宙』

レビュー

「トゥルーマン・ショー」という映画をご存知だろうか。「マスク」や「イエスマン」などで知られる人気俳優、ジム・キャリーが主演を務めていることもあり、作品を観た方も多いかもしれない。物語のあらすじはこうだ。

ジム・キャリー演じるトゥルーマンは、ごくごく普通の生活を送る一市民。保険外交員として働き、妻も友人もいる。しかし、その生活は24時間、TV番組「トゥルーマン・ショー」として全世界に放送されていた。彼が生まれた瞬間から、なんと30年にもわたって。さらに、トゥルーマン以外の人間はすべて役者で、暮らしている街は巨大なスタジオだった。自分の生きる人生が“作り物=フィクション”であったと気づいたトゥルーマンは、その舞台からの脱出を試みる……。

これから紹介する『わたしの宇宙』では、登場人物たちがトゥルーマンと同じように、ある事実に気がつく。そう、この世界はフィクションであり、自分たちはマンガの中で生きていると。『わたしの宇宙』は、そんな突拍子もない設定のもと、マンガのキャラクターであることに葛藤する中学生を描いた作品だ。

わたしの宇宙
©野田彩子/小学館

第1話。中学2年生の津乃峰アリスは、クラスメイトの星野宇宙から、「この世界はマンガであり、僕が主人公である」と告白される。たしかに、宇宙が学校の屋上から飛び降りると、主人公の死を回避するために、都合よく木がいきなり現れた。しかも、意識するとフキダシが見える。アリスは戸惑いつつも、その事実を受け入れるのだった。

マンガの世界に生きる。それはつまり、彼らの暮らしが読者である我々の目に晒されるということだ。作中では、何者かに常に見られている気配を感じて思い悩むキャラクターも登場する。そのような状況を受けて、主人公である宇宙は責任を感じていた。自分のそばにいるから、友人たちの生活が、心情が暴かれるのだと。そして、周りの人間に迷惑がかかることを恐れ、宇宙はアリスたちの前から姿を消してしまう。そのあと、彼が訪れたのは……。

シリアスなストーリーが進む一方で、『わたしの宇宙』は、マンガならではの構造や仕組みを利用した“遊び”をたくさん盛り込んだ作品でもある。例えば、本来なら誰にも“聞かれる”はずのない脳内でのモノローグ(独白)が、マンガのコマに描かれることで、他の人に“見られて”しまったり、お風呂のシーンを読者に見られないようにアリスが奮闘したり。2巻では突如4コママンガになったり、さらには作者本人が物語に絡んできたりといった場面も。“この世界はマンガである”と冒頭で種明かしをしてしまうくらいなのだから、なんでもありな展開が繰り広げられる。

物語終盤はさらにカオスだ。宇宙たちは、『わたしの宇宙』が全16話であることを知ってしまう。マンガの完結が登場人物たちにとって終わりを意味するのであれば、ある意味、これは死刑宣告のようなものだ。最終回を前にして、主人公である宇宙は、どのような行動をとるのだろうか。トゥルーマンのように作品からの脱出を図る? それとも……。

この結末は、これまでにたった1作品でも心に残っているマンガがある方なら、きっと胸に響くはずだ。宇宙たちは、一体どのような道をたどるのか、ぜひ作品を読んで確かめてみてほしい。

わたしの宇宙/野田彩子 小学館