「ホラー漫画界の鬼才・伊藤潤二が描く、太宰治の『人間失格』の衝撃」

レビュー

「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。」
 
太宰治の代表作『人間失格』を読んだことはあるだろうか。
 
太宰がこの小説を書き終えた1ヶ月後に女性と入水自殺していること、主人公と太宰のあいだにある共通点が多いことなどから、彼の「遺書」だと言われることも多い作品である。
 
私はこの小説が好きで今までに2〜3回ほど読んでいるのだけれど、読むたびに新しい魅力を発見できるのが『人間失格』のすごいところだと思う。
 
「『人間失格』の読者には「主人公が自分と似ている」と思う人も多いのだ」という話を聞いたことがあるが、これは私も何となく分かるような気がする。

この主人公のように、自分だけが重く苦しい禍(わざわい)を背負っているような、どこか客観的に自分を見ながら生きているような、そんな気持ちになることがきっと誰しもある。そういった一面を持つ主人公に読者は自分を重ねるのだろう。
 
そんな『人間失格』を、原作の内容を忠実に、かつ独特の切り口で描き切った漫画家がいる。
 

人間失格
©伊藤潤二/太宰治//小学館
 

「道化」として生きることを選んだ少年時代

 
主人公の大庭葉蔵(おおば ようぞう)は裕福な家庭に生まれたものの、幼い頃から病弱で、気が弱く、いつも「ある不安」にとらわれていた。
 
「自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾(てんてん)し、呻吟(しんぎん)し、発狂しかけた事さえあります。」
 
そんな彼が行き着いたのは、「道化」になりきること。
 

 
極度に人間を恐れているその本心を他人に知られないよう、ひたすらに無邪気な楽天性を装った彼は、うまく周りの人間たちを騙すことに成功する。
 
「お茶目」を演じることでみんなを笑顔にしていた葉蔵だったが、実はこの頃、女中や下男から犯され、「世の中の哀しいこと」を教えられ、人間不信に陥っていた。
 
それでも道化を演じ続け、中学生になった葉蔵にある日、重大な危機が訪れる。
 

 
体育の授業でわざと転んで、いつものように先生や生徒から爆笑をかっさらった葉蔵だったが、クラスメイトの竹一(たけいち)から肩を叩かれ、こう言われてしまう。
 
「ワザ……ワザ……」
 

 
竹一はクラスで最も貧弱な体で、勉強もさっぱりで、いつも蔑まれている存在の生徒だった。そんな彼に、葉蔵が「ワザと」道化を演じていることがバレてしまったのである。
 
思いもよらない状況に大きく狼狽する葉蔵は、あえて竹一に近付こうとするが……。
 
『人間失格』はこれまで、さまざまな描き手によって漫画化されてきた。しかし伊藤潤二先生が描いた『人間失格』が他の作品と圧倒的に違うのは、葉蔵の苦悩や葛藤を「ホラー要素」を取り入れて描写している点だ。
 
原作『人間失格』の内容を忠実に描いていることから、伊藤潤二先生の太宰治へのリスペクトを感じられる。それでいながら「伊藤潤二にしか描けない」カラーを盛り込み、原作を知っている読者にもしっかりと作品を楽しませてくれる。
 
それがこの作品の魅力というか、魔力ではないかと思う。
 

酒と煙草、女と薬に溺れる青年時代

 
『人間失格』では、葉蔵の少年期から青年期に至るまでが描かれる。
 

 
女性が次々と近づいてくるほどの美男子に成長した葉蔵は、自分よりも年上の悪友・堀木正雄(ほりき まさお)と出会う。
 
堀木は遊び人で、葉蔵に酒や煙草、淫売婦などの遊びや左翼活動を教える。
 
これらは葉蔵にとって「醜悪な人間の営みから解放」される手段となり、夢中になり溺れていく間に金も底をつき始める。
 
しかしそんな葉蔵のことを好きになり、そばにいようとする女性が現れる。
 

 
葉蔵が通うカフェの女給、ツネである。
 
ツネはどこか寂しげで孤独な雰囲気があり、「夫が刑務所にいる」と言った。
 
孤独を感じていた2人は次第に惹かれ合うが、彼らの行く先には悲劇が待ち受けていた。
 

文学作品にホラー要素を取り入れた傑作

 
この漫画を手がけた伊藤潤二先生と言えば、ホラー漫画界では超がつくほどの有名人であり、代表作に『富江(とみえ)』シリーズなどがある。
 

 
私は伊藤潤二先生の大ファンだ。彼の描く漫画の魅力は、常に漂う「不気味な空気感」だと思う。まるで自分がその場にいるかのような臨場感や、グイグイ引き込まれるような世界観を描くことに長けていて、「不気味」な演出に関しては彼の右に出るものはいないと思っている。
 
そんな伊藤潤二先生が『人間失格』を漫画化していると聞いた私は、すぐに手に取って読み始めた。
 
すでにストーリーは知っているはずなのに、彼の描き出す独特の「人間の汚さ」や「恐ろしさ」、「闇の部分」の表現が生々しくて、まったく新しい作品に出会ったかのようで、最後まで一気に読んでしまった。
 

 
文豪たちの小説を漫画化した作品は世に多くあるが、伊藤潤二先生が描いた『人間失格』は、それらとは一線を画するものだと思う。
 
『人間失格』という名作の複雑なストーリーや、繊細な人間の心理描写をここまで忠実に、かつ独自性のある作品として完成させることは並大抵の技術でできることではないだろう。
 
太宰治の『人間失格』のファンはもちろん、未読の方も、ぜひ一度は読んで見てほしい作品だ。きっと最後まで熱中して読むことができるだろう。
 
 
人間失格/伊藤潤二 太宰治 小学館