若者たちのリアル。『ソラニン』を読んで憧れ、共感し、そして自分が大人になったことを感じた話

レビュー

私は今年の9月で30歳になる。
近年、学生時代の友達とお酒を飲む機会がたびたびあるが、他愛のない馬鹿話をしつつ、最終的に保険の話題になるのが面白いな、と思う。
社会に出て10年弱。結婚はどうだ、給料がどうだ、そんな話すら通り過ぎ、老後の心配を肴に酒を飲む。「俺らもそんな年になったのか…」なんて、帰りの電車の中で思う。なんだかさみしいです。
しかし年上の人に聞かれたら「その歳で!?まだ若いじゃん!」と怒られてしまう気もする。なんででしょうかね、この感じ。

もちろん20歳過ぎ頃は違った。みんなで集まって話すのは、夢や希望、社会への不満。
特に私は芸術分野に関わる勉強をしていたこともあり「自分という存在の無力さ」「才能の塊である自分は、いつか何かを成し遂げげられるはず」みたいなものが、アルコールのおかげで増幅され、毎夜毎夜爆発していた。

今回ご紹介する漫画『ソラニン』は、そんな若者たちのモラトリアムが描かれている作品だ。
そして私には気づいたことがある。
それは、登場するキャラクターたちに対して「こいつらの考え方、若いな…」と先輩風を吹かしている自分がいること。

しかし、20歳頃に読んだ時は「分かる、分かるぞ!その感じ!」という思いを抱いていた。
もっと言うと、初めて読んだ高校生時代には「大人だな、この人たち!憧れちゃうぜ!」だった。

『ソラニン』は読むタイミング、自分の年齢によって読後感が変化する漫画だと思う。

ソラニン
©浅野いにお/小学館

物語は、社会人2年目のOL、井上芽衣子と同い年でデザイン事務所のアルバイト、種田成男を中心にして展開していく。

2人はカップルで同棲1年目。
将来に対する漠然とした不安や社会への不満を抱えていた芽衣子は、種田からの「俺がどーにかする。」という言葉を信じて、勢いで会社をやめてしまう。
そしてそれを聞いた種田は、激しく動揺。

種田としては、その時の雰囲気で言ったことが現実になってしまい、そのプレッシャーをもろに受けることになったのだ。

芽衣子は芽衣子でだらだらとした日々を過ごしていて、やはり、何か満たされない気持ちを抱えている。
それは自分と、バンド活動を細々と続けている種田に対してだ。
どうにか2人の生活を安定させようとしている種田。芽衣子から見ると夢を諦めているように見える。
本当は己自身の力を信じて、大好きなはずの音楽の世界へ飛び込んで欲しい。
しかし、そう諭しても種田は煮え切らない。

種田自身、葛藤していた。
音楽をやりたい気持ちは強い。しかし現実は甘くない。実際、今の種田の背中には2人の生活全てがのしかかっている状態だ。
いくら考えても答えは見つからない。

ただそのうち、どうせ答えが見つからないなら、一度本気でチャレンジしてみようと思い始める。
そうしてバンドメンバーを集め、曲をレコーディングすることに。
その曲のタイトルが『ソラニン』である。

さてここまで読んでいただいて、どういう漫画か伝わっただろうか。
本当に普通で平凡な、なんでもない日常が描かれているのだ。
学校を卒業、現在社会人の方なら「あるある〜」「なんか聞いたことあるなぁ」「周りにこういう人いた」となってしまうぐらい、よくある話と言える。

しかしですね!
高校生の時にこれを読んだ私は、彼らにとても憧れたんですよ!
「これが…大人か…」と!

同棲するカップル。夢と現実のギャップに悩む様子。そして、チャレンジする姿勢。
大人ってこうなんだ!現実や社会には負けないものなんだ!
高校生の私はそう感じたのだ。

そして大学生になった私は(本当は短大卒だが、年齢的にはそうなので、そう表現させてください)自分は彼らのような人間になった、と共感を覚えた。
将来への不安を胸の内に秘め、しかし自分には一発当てられるだけの才能があると。

若さっていいですよね…。

いや?どうでしょう。
今なら「甘い考えだ」と指摘したくなる、そんな自分がいる。

ただ、そういうことは言いたくない。
高校生の時の私、大学生の時の私が『ソラニン』を読んで感じたこと。
物語の中の彼らが、考えて、感じていること。
そのどれもが、リアルだと思う。

誰しもが懸命に考えて、悩んでいる。それを大人の「甘い考えだ」という言葉で括りたくない。
キャラクターたちのことも、過去の自分のことも。
それが、大人になった、今の自分の気持ちである。

レコーディングを終え、デモCDをいくつかのレコード会社に送った彼ら。
ある日、その中の一社から呼び出しを受ける。そうして、期待感を胸に、担当者と会うことに。
しかし担当者からの話は自分たちの理想とは程遠かった。

その話を断り、芽衣子たちはまた何もない日々を送る。

ある日のデートで、ボートに乗り川へ出た芽衣子と種田。
そこで種田は、別れを切り出した。
芽衣子の言動がプレッシャーになり、苦しい、という理由を告げる。
しかし芽衣子は必死になって、それを止める。

そうして、種田は思いとどまるのだった。

高校生の時、このシーンを読んだ私は、
「なんで!?別れようって話は!?なんで謝ってるの!?なんで自分のこと最低とか言ってるの!?芽衣子は芽衣子で、心の中で謝ってるし!でももしかして…こういう気持ちが分かんないのが、俺がモテない理由では!?」
と、大変発狂した。

今なら分かる。
大成できずに思い悩み、描いた夢を諦めようとしている自分に対する苛立ち。そしてそれを恋人のせいにしてしまったことへの罪悪感。
種田が抱いていたものはそれだろう。それが分かって自分のことを「最低だ」と自虐している。

芽衣子は芽衣子で、何の目標もない自分が無責任な言動を繰り返しているうちに、いつのまにか種田を追い詰めていたことを知った。
しかしそれが分かった上でも別れたくない、というわがまま、エゴ。
そういう気持ちがモノローグに現れている。

これも今だから分かる、という言葉に尽きる。
昔の自分では分からなかったことが、分かる。
そうしてふと思う。
40歳になった時に読み返せば、また違う感情が湧くのかな、と。
それが楽しみでしょうがない。

『ソラニン』は1巻の終わりに衝撃的な展開を迎える。
どういう内容かはぜひご自身の目で確かめて欲しい。

最後に余談だが、『ソラニン』は実写映画化もされており、私は抽選で当たった試写会で、今の嫁と一緒に観に行った。
泣きました。

ソラニン/浅野いにお 小学館