建前や世間体なんて全部捨てちまえ「クソムシが」。思春期のぐちょぐちょの欲望を暴き出す青春ストーリー『惡の華』がすごい

レビュー

自分の中にある「キモチワルイ部分」と向き合ったことがあるだろうか。

中学生くらいの頃、偶然を装って好きな人を待ち伏せてみたり、好きな人の席にドキドキしながら座ってみたり。

そういう経験って誰にでもあると思ってる(あくまで個人の意見です)んだけれど、「過去の黒歴史」として自分の中で閉じ込めて、否定してしまいがちじゃないですか。「違う違う、あれは一時の気の迷いで〜」とか、「若かったから仕方がないんだよ」とか。

でも、それって実は「本当の自分」だったのかもしれない。
見過ごしてはいけない部分だったのかもしれない。

そう思うことがある。

「本当の自分って、何だろう」

そんな風に考えたことはあるだろうか。

特に大きな問題もなく毎日を過ごしているんだけれど、どこか物足りない。
今ここで生きている自分は、本当の自分とは違う気がする。

筆者は、こんな風に思うことがたまにある。
もしかするとすべて錯覚なのかもしれないが、何かが足りないような気がしているのだ。

そんな私が出会って、衝撃を受けた作品がある。

アニメ・舞台化もされた押見修造さんの漫画、『惡の華』だ。

思春期の葛藤を描いた青春ストーリー

惡の華
©押見修造/講談社

主人公の春日高男(かすがたかお)は、文学を愛する中学生。フランスの詩人であるボードレールにより1857年頃刊行された詩集「悪の華」がお気に入りで、非常に内向的な性格の持ち主である。

クラスメイトの美少女・佐伯奈々子(さえきななこ)に想いを寄せている高男は、ある日の放課後、誰もいない教室に落ちていた彼女の体操服を盗んでしまう。

大好きな奈々子の体操服を手に入れた興奮と、激しい自己嫌悪との間に揺れる高男だったが、実はその日、クラスメイトである仲村沙和(なかむらさわ)に一部始終を見られてしまっていたことを知る。

沙和は大人しく、普段は目立たないタイプの生徒だ。しかし、ときに教師相手であっても暴言を吐くような二面性があり、「変わり者」として嫌われていた。いわゆるクラスの問題児である。

孤立した存在のため高男とも交流が皆無であったが、この事件をきっかけに、沙和は高男に対して異常なまでの興味を示すようになり……。

『惡の華』は、思春期の少年の「アイデンティティーの芽生え」にスポットライトを当てた青春漫画である。

目的は「化けの皮を剥がすこと」……?

好きな女の子の体操服を盗んでしまったことからもわかるように、高男は「変態」である。いくら真面目で大人しそうな人間の皮をかぶっていても、彼がドスケベ野郎であることは明らかなのである。

高男自身も自らの行動(咄嗟に体操服を盗んでしまったこと)に驚き、背徳感と後悔の念に襲われてしまうのだが、その一方で、どこかで大いに感情が高ぶっている自分に気がつく。しかし、自分の変態性を受け入れられない高男は、「自分は変態じゃない」と自我を抑制しようとする。

そんな高男の変態性を引きずり出そうとするのが、「体操服事件」の目撃者であり、クラスの嫌われ者の沙和。

秘密を知った沙和は「バラされたくなければ自分の言うことを聞け」と高男を脅し、主従関係を築こうとする……。

が、ここで特筆すべきは、沙和が高男に命令する内容ではないだろうか。

こういうストーリーの漫画であるあるなのは、「主人公に片思いしているヒロインが自分の欲求を達成するために指示をする」みたいなラブラブ展開だと思う。思うんですよ。

でも沙和は、高男が押さえつけている「変態性」とか「本能」の部分をさらけ出して、自覚させることを目的としているわけで。そうなると当然、彼女が高男に要求する命令も、そこに関連してくるわけで。

例えば、大好きな奈々子とデートができることになって浮かれる高男に、沙和が出した命令は「デートのときに、盗んだ体操服を着ていくこと」。

酷い。酷すぎる。

もしも服の下に、盗んだ体操着を着ていることがバレてしまったら……。

もはやデートどころではない高男。楽しそうな奈々子。ほくそ笑みながら、ひっそりと後を尾けてくる沙和。

「果たして、デートの行方は……?」とページをめくる指が止まらない。

本当の自分に気が付いてる?

『惡の華』は思春期特有の「自己認識の揺らぎ」がテーマになっているが、物語は高男が高校生になっても続いていく。

全編を通して高男の成長や心境の変化が描かれていくのだが、作者の押見修造さんの描く心理描写の緻密さには、ついつい引き込まれてしまうものがある。

ラブストーリーといえばラブストーリーではあるんだけれど、そんじょそこらの普通のラブストーリーではなくて、描かれているのは「人間の根源的な欲望」。

高男が押さえつけている欲求をむき出しにして、退屈な日常に終止符を打たせること。沙和の行動は一貫してこの原理に基づいている。

この漫画を読んだとき、筆者は成人済みだった。
もし鬱屈して色々と抑え込んでいるものがあった思春期真っ只中に『惡の華』に出会っていたら、私はどんな中学生になっていたのだろうか。

そう思うと恐ろしくなってしまうほど、『惡の華』は人間の内面に斬り込んでくるような作品なのだ。大人になった今読んでも、自分の中学生の頃の不甲斐なさというか、欲求不満というか、色々な感情を思い出して思わず「ウッ」となってしまう。
青春時代の自分と登場人物達が重なった人にはぜひ読んでもらいたい。

惡の華/押見修造 講談社