「欲情」は悪いことじゃないけど、ときに相手を傷つける。十人十色の“性の目覚め”を描いた『中学性日記』

レビュー

たいてい、若いころに思い悩んだことの多くは、10年も経つと笑い事になるものだ。「なんであんなことで悩んでいたのだろう」と不思議に頭をかしげるが、おそらくそこは必要な通過儀礼のようなものだったのだろう。

シモダアサミの描く『中学性日記』を読んでいると、そんな些細な悩みやコンプレックスで頭がいっぱいだった頃を思い出す。

当作品は、多くの男女が性に目覚める「中学生」という時期に焦点を当てたオムニバス形式の作品である。

思春期の彼らは、自分にも他人にも意識が過剰で、とても不器用で、不安定だ。不用意に傷つけたり誤解しあう姿にもどかしく思う人もいるだろう。しかし、きっと必ずどこかで「ああ、私も昔そういうことで悩んでいたよ」と言いたくなる瞬間があると思う(あなたがすでに「大人」であるならば)。

中学性日記
©シモダアサミ/双葉社

勃起する=恋、か?

人は、相手のどこを見て恋に落ちるのだろう。

アラサーになりある程度の歳を重ねてしまったせいで、「一緒にいて落ち着く人」みたいな毒にも薬にもならないような返答しかできない人間になってしまったが、若いころは、もっと「背が高い」とか「鼻筋が通っている」とか、「手が綺麗」とか、肉体的な部分を重視していたように思う。誰だって最初は外見から入るわけだから、容姿に対して欲情するかどうか、という部分は大きいだろう。

作中で描かれる岡本君というキャラクターは、女性が何かを握っている姿を見ると勃起してしまう、という若干特殊な性癖をもった男の子だ(特殊ですよね?)。しかし、最近自分の体の変化を感じ始めて戸惑う彼にとって、自分の性癖が特殊かなど預かり知るところではない。彼は、たまたま米田さんがリコーダーを吹いたり箒をもって掃除する姿を見る機会が重なり、そのたびに勃起をしそうになることで、自分は彼女に恋をしているんだ、と錯覚する。

偶然が重なった結果であり、岡本君にとって、米田さんを好きでなければいけない必然性はない。要は自分の性器に脳みそを乗っ取られているようなものなのだが、彼はこれが恋心なのだと浮かれてしまう。

はたから見てたら、アホか、と突っ込みたくなるような展開だが、わりと恋の始まりってこんなもんかもな、とも思う。

性の目覚めとともに立ちはだかる「コンプレックス」の壁

思春期といえば、コンプレックス。性の目覚めによって様々なことに過敏になるこの時期に、24時間ともにする自分の肉体に何も思わないなんてことはなかなかない。

今作品では、コンプレックスに悩む男女が多く描かれている。胸が大きすぎるのが恥ずかしくてさらしでつぶしてくる女の子、初潮がくるのが遅くて自分は女じゃないのではと悩む女子、性器に毛が生えてこなくて育毛剤をふりかける男の子、体毛が濃くて銭湯で隠れるように体を洗う女の子、性器が小さいことを気にしてトイレットペーパーの芯をかぶせて大きいアピールをする男の子(その後勃起して抜けなくなってしまい大惨事に)……。

読んでる側からすれば、「そんなことで人生終わらないから大丈夫だよ」というような小さなことに、彼ら彼女らは、それが世界の全てかのような深刻な表情で悩む。しかも、恥ずかしいことだと思っているから、他人に相談できずに一人で悩んでしまう。

そして、そんなコンプレックスの存在によって、不必要に人を傷つけてしまうこともあるのだ。

肉体ばかりにとらわれていると、無意識のうちに相手を傷つける

性に目覚め、肉体面への興味関心が強くなることで、ついついその肉体の中にある心を置き去りにしてしまう瞬間がある。自分のコンプレックスばかりに気が向いてしまい、相手も自分と同じように色々なことを考えたり悩んだりしている人間なのだ、という視点がすっぽり抜けてしまい、好奇心で頭がいっぱいになってしまう。結果、無遠慮な言葉をかけて相手の激昂を買ってしまう、といったシーンもこの作品には多数描かれている。

当たり前だが、そういった不用意に相手を傷つけることは、男女間だけではなく、同性間でだって起こり得る。周りからは「プヨプヨ」した存在として愛される小鳥は、日々クラスメイトの女子から癒しを求めて体を触られる。しかし、小鳥にとって、太っているということはコンプレックスである。幼馴染で想いを寄せる壮ちゃんの横に、スレンダーな女子が並ぶ姿を見るたびに、彼女は自分の体型を惨めに思うのだ。

いくら周りが傷をつける気がなかったとしても、どこに相手のコンプレックスという地雷が埋まっているかはわからない。そしてそれを避ける術は、思春期の間に得ることはなかなか難しいものなのではないか、とも思う。思春期とは、誰もがコンプレックスが山ほどある地雷原で、誰もが相手の領地が気になる探検家でもある、そんな状態のように思えるからだ。

彼らは自分の肉体に振り回され、傷つけたり傷ついたりしながら、慌ただしい日々を過ごす。しかしその中で、だんだんと相手を思いやる気持ちも生まれてくる。最初は欲情から始まった恋も、落ち着けば大人の恋愛に変貌するものだ。

相手の肉体に欲情することは悪いことではないけど、その相手を傷つけることもある。しかし、匙を投げずに向かい合えば、成熟した関係性を築ける可能性も秘めている。性の目覚めに戸惑いながらも懸命に生きる、この作品の生徒たちは、まさに「大人になるための準備中」のように見える。思春期が遠い昔の記憶になっているような大人たちにこそ、「ああ、こんな時期もあったな」としみじみと読んでもらいたい作品だ。

中学性日記/シモダアサミ 双葉社