変わっているけど、きっとどこかにいる家族の物語『うちは寿!』

レビュー

上から読んでも下から読んでも「小池恵子」(こいけけいこ)先生は、等身大の人間ドラマを描くのが抜群にうまい。

『ななこまっしぐら!』では仲睦まじい新婚夫婦を。『おかあさまといっしょ』では冷戦状態の嫁と姑を。良い面も悪い面もひっくるめて、現代社会で暮らす人たちのありのままの姿を、ときにコミカルな、ときにシニカルな4コマ漫画で表現する。

うちは寿!
©小池恵子/竹書房

『うちは寿!』は、小池先生の著作の中では最も「家族漫画」の要素が強い作品。苗字は「寿」、下の名前にはそれぞれ「千」「万」「鶴」「亀」の字が含まれている、名前からしておめでたい家族の日常譚だ。

名前も性格もおめでたい家族たち

長女の万里(32歳)は、一家の大黒柱。作者の他の作品にもたびたびゲスト出演していて、それらの作品では有能な女係長として描かれている。

だが、本作での万里はどうしようもないグウタラ女。料理も洗濯もまともにできず、妹の美鶴にいつも叱られている。他の作品とあわせて読めば、「あの寿係長が家ではこんなだらしない姿を……」と、アラサー女子の私生活を覗き見る体験ができるかもしれない。

次女の美鶴(17歳)は、高校生にして寿家の家事を一手に担う。かといって嫌々やらされているわけではなく、汚れをきれいに落とすことに快感を覚えるなど、妙にマニアックな一面も。

万里の仕事の愚痴を聞くこともあれば、弟の千宏と無邪気に遊ぶこともある。3きょうだいの真ん中っ子らしく、大人っぽさと子どもっぽさを両方兼ね揃えたキャラクターだ。

末っ子の千宏(7歳)は、小学生男子特有の自由奔放な言動で家族を振り回す。……が、同じ年ごろの万里のほうがよっぽどやんちゃだったらしい。

千宏が書く絵日記は文章もイラストもクオリティが高く、各話のまとめによく使われる。そこから派生して、成長した千宏が昔の絵日記を読み返して昔を懐かしむというエピソードもあり、実質的に彼が本作の語り部といえる。

3きょうだいを見守る、祖母のかめ(80歳)。今でこそ見るからにおばあちゃんといった風貌だが、昔は美鶴に似た眼力のある美少女だったらしい。

年を取っていても、内面はむしろ家族の中で一番若々しい。テレビやお店のイケメン男子を鑑賞しては、心の栄養を補給している。千宏視点の後日談――少なくとも10年後――にも登場しているため、90歳を越えても健在のようだ。

「普通の家族」って何だろう?

32歳のOL。17歳の女子高生。7歳の男子小学生。80歳のおばあちゃん。『うちは寿!』の面白さの肝は、この家族構成に関連した2つのポイントにある。

まず、やたらと年が離れたきょうだいたち。作中でも、美鶴に「計画性の無い夫婦」と言われてしまっている。

特に万里と千宏は、外を歩けば親子と間違われてもおかしくない。そんなふたりがフランクな口調で会話する様は良い意味で違和感があり、どれだけの年齢差も帳消しにしてしまう「きょうだい」という関係性の強さを思い知らされる。

そしてもうひとつ。寿家には「両親」がいない。当レビューでここまで触れてこなかったように、本編でもこの件について明言されるのは最終巻(5巻)の終盤に入ってからだ。

一家の生計は万里の肩にかかっていて、美鶴は学校が終わればスーパーに寄って米袋を担いで帰り、かめも80歳にして和裁士の仕事を続けている。金銭的に苦労するシーンは描かれないものの、決して贅沢できるような家庭状況でもないと思われる。

けれど、寿家の人たちは自分たちの境遇を嘆いたり、わざとらしく「私たちは幸せです」と強がったりしない。きょうだいの年が離れているのも、両親がいないのも、この家族にとっては当たり前のことだからだ。

『うちは寿!』を読み返すたび、「普通の家族」って何だろう? と考えてしまう。

両親がいて、年の近いきょうだいが2~3人いて、みんな仲良しで、朝と夜は全員揃って食卓を囲む。それを「普通の家族」と呼ぶなら、「普通じゃない家族」のほうが本当は多いのかもしれない。

むしろ、学校や会社なら出会いすらしなかっただろう人同士をひとまとめにしてしまう魔法の単位が、「きょうだい」であり、「家族」なのではないか。

寿家の家族構成はたしかに特殊だが、「こんな家族、うちの近所にもいそう」と思わせるリアリティがある。様々なアプローチで等身大の人間ドラマを描き続けてきた小池恵子先生の、ひとつの到達点と呼べる作品だ。

うちは寿!/小池恵子 竹書房