どうしたら「自分は誰よりも不幸だ」と言えるだろう?『世界で一番、俺が〇〇』

レビュー

「好きな人にフラれた」

「就職の面接に落ちた」

「仕事でミスをして上司に怒られた」
 
生きていれば、辛いことも恥ずかしいこと山ほどある。そのたびに、ややもすれば、私たちはつい「自分が世界で一番不幸だ」とでもいうような顔で頭を抱えてしまう。
 
でも、ふと冷静になる。たとえば屋根のある家に住んでいたら、毎日の食事に不自由していないのなら、友人が一人でもいるのなら、誰よりも不幸だ、なんてこと言うことはできないのではないか。恵まれていることがひとつでもあるのなら、それがない人に比べて、幸せだと言える部分があるということではないか?

そもそも、「不幸だ」って、かなり主観的だ。多額の借金を背負っていても、ブサイクで誰にも相手にしてもらえなくても、難病を抱えていても、自分のことを不幸だとは言わずに、快活に生きている人もいる。その一方で、恋人のLINEの返信が遅いという些細なことでずっと不幸だと嘆き続ける人もいる。
 
その人が「自分が一番不幸だ」と思っているうちは、やっぱり本当に不幸なのだろうから、不幸を「比べる」ことは埒が明かない。
 
しかし、そんな不毛な「不幸比べ」を、見事なゲーム性をもって描いている作品がある。水城せとな著『世界で一番、俺が〇〇』だ。
 

世界で一番、俺が〇〇
©Setona Mizushiro/講談社
 
 

これから「一番不幸な人」を決めてもらいます

 
物語の主人公は、山森啓太(アッシュ)、高瀬柊吾(柊吾)、小山小太郎(たろ)の三人だ。彼らは幼馴染で、社会人になった今でも定期的に三人でカフェに集まりダラダラと話す時間を大切にしている。
 
イケメンで女たらし、頭も要領もいいが、どの仕事も長続きせずニート状態のアッシュ。
 

 
頭脳明晰で大企業に勤めるエリートだが、神経質で周りの人たちを信頼できず、常にストレスフルな環境にいる柊吾。
 

 
好きな「絵を描く」というスキルを活かし動画制作会社で働き、とても純真で暖かい心を持っているが、仕事は多忙かつ薄給で、顔も頭もパッとせず「いい人」止まりタイプのたろ。
 

 
三人はカフェでお互いに、自分がいかに不幸かを愚痴る。現実世界でもよく見る光景だろう。しかし、そんな日常的な風景は、突如現れた謎のエージェント773号(ナナミ)により一変する。
 

 
ナナミは、「セカイ」という謎の組織に属し、現在進めている事業に反映するため、「人がどんなことからどれくらい不幸になれるのか」という実例データを収集しているという。彼女は三人に、300日間不幸のデータ収集を手伝ってくれ(三人の不幸の数値を毎日測らせてくれ)とお願いする。そのお礼に、最終的に最も不幸だった人の願いをなんでも叶えてあげるというのだ。明らかに怪しい申し出だが、その後彼女が見せた超常現象などから、三人は彼女の存在や発言を信じることにする。
 
また、一番不幸になった人が、ご褒美に何でも願いを叶えてもらう、ということは、誰かが大きな損をすることはない、ということだ。このゲームの敗者は、三人の中で一番幸せな人になり、勝者である一番不幸な人は報酬がもらえる。二番目に不幸な人が一番損をするが、「なんでも願いを叶えてくれる」という大きなメリットを前に、彼らが断る理由はなかった。
 
ここから300日、彼らは「自分が一番不幸になる」ためのゲームに参加することになる(※不幸度は、ナナミが手を額にかざすことで客観的な数値で表示される仕組みだ)。「なんでも願いを叶えてくれる」というご褒美に喜ぶ能天気な三人に向けて、ナナミが放つこの一言が、何やら不穏な予兆を感じさせるのであった。
 

 

 
 

不幸は盲目

 

 
その人にはその人なりの不幸がある。そして「自分ってなんて不幸なんだ」と感傷に浸っているとき、他人への不幸はなかなか目に入ってこない。他の人がどれだけ苦しい思いをしているか、など頭をよぎることはない。誰をさしおいても「世界で一番自分が不幸」なように思えてくる。
 
このゲームは、次第に三人の関係性に影響を及ぼし始める。鬱屈とした日々の中で唯一心許せる時間であった、カフェでのひとときは、気がつけばお互いの顔色を伺う居心地の悪い空間に。
 

 
自ら不幸を探すことはせず、傍観者を決め込む柊吾。二人の前では飄々とした表情をみせながら、裏では“なんらかの意図”をもって、たろに対するひどい仕打ちを考えるアッシュ。アッシュの思惑とは別に、母親の癌の発見や失恋など、タイミング悪く(よく?)不幸が重なり始める、たろ。
 
中途半端な不幸比べをしていた平和な時間から一転、「不幸」についてばかり考えていた彼らは、引き下がれないほど悲惨なトラブルへと足を踏みいれようとしていた。作品はまだ終わっていない。今はまだ、彼らの“本気の”不幸比べが、想像以上に辛い出来事を引き起こしてしまった、というところだ。三人が三人とも「自分が一番不幸だ」という顔をしながら。これから、この3人はどうなるのだろう。少し、ハラハラしながら読み進めてみてほしい。
 
 
世界で一番、俺が〇〇/Setona Mizushiro 講談社