もうすぐ30歳ですがどうにかして今から高校球児になれませんか?『おおきく振りかぶって』

レビュー

私は高校時代、漫画研究部だった。「漫画を研究する!」と意気込んで毎日部室に篭り、毎日漫画を読んでいた。いや、描いてもいましたよ。9対1ぐらいで。
休日も本屋に通った。友達の家に遊びに行くこともあったが、そこでも漫画を読んでいた。
「高校」という青春ど真ん中にそういった暮らしをしていたおかげで、今こうして漫画について文章を書けるわけで、それについて後悔はしていない。
ただちょっと、ほんのちょっと、小指の爪の先ぐらい、時々思う。
「甲子園、目指したかったな」って。

おおきく振りかぶって
©Higuchi Asa/講談社

『おおきく振りかぶって』は手塚治虫文化賞「新生賞」や第31回講談社漫画賞一般部門を受賞した人気高校野球漫画だ。
中学校野球部での人間関係からネガティブで卑屈な性格になってしまった主人公、三橋廉(みはしれん)。もう野球を続ける気持ちはなかったが、興味本位で足を運んだ進学先である西浦高校のグラウンド。そこには発足したてで新入生ばかりが集まった女性監督率いる野球部が。そこで三橋は「本物のエース」を目指す、というのが序盤のおおまかなストーリーである。

「野球漫画」と聞くと熱血、スポ根なイメージが湧くかもしれないが、『おおきく振りかぶって』は全然そんなことはない。
食育、メンタルトレーニング、故障をしない・させない指導法など、現代的な目線で具体的な練習方法が描かれている。作者であるひぐちアサのしっかりとした取材、裏取りが作品を通して伝わってくる。うさぎ跳びなんてもってのほか。

試合のシーンでは試合全体の流れだけではなく、1球ごとの配球、そして心理戦が楽しめる。初めて読んだ人なら、ここまで細かく描けるのかと驚いてしまうはずだ。
そして何よりも作り込まれているなと感じるのが、キャラクターである。
西浦高校野球部の選手たちは、合計10人(プラス、マネージャーが1人いる)。
その1人1人の性格がこれでもかと描写され、まるで現実世界にいる人間のように思えてしまうのだ。

例えば、キャッチャーの阿部隆也。
頭の回転が速く、相手のささいな動向を見て1球1球投球のサインを出す。

そして口が悪い。
台詞やモノローグの端々に口の悪さが出てしまっている。卑屈で天然な性格の三橋を「うざい」だの「2、3発ぶんなぐる!」だの「このスカタン!」だの。書き出すとひどいですね。
野球に対して真剣だからこそ、ではあるが、

三橋に対する要求の多さに、チームメイトから「アベウッゼー」と思われる始末。口うるさいこと自体は自覚しているようですが…。
そんな、ちょっとキツイ性格の阿部。
しかしここで、こちらをご覧ください。

チームメイトである田島の家で自主トレをするために集まった面々。準備のために倉庫に入らせてもらったところで「探検してェな」と目を輝かせている。そして2階に行くためのはしごを見て「スゲーのぼりてえ」。小さな吹き出しで「宝探しぽいぞー」とまで呟いている。
…かわいくないですか?
性格悪いな、とも言えるような言動が多い阿部が、ここでは男子小学生のような一面を見せてくれる。
知らない倉庫で探し物。男性なら、この宝探し感、分かるのではないでしょうか。私も男なので分かります。

続いてはファーストの沖一利を見てみましょう。
沖の性格は簡単に言うと、臆病。

ピッチャーを増やしたいというチームの方針で経験者を募ったところで、経験があるのに言い出せなかったシーン。ピッチャーという目立つ役割は「性格的に向いていないからやりたくない」と思っている。
他のシーンではチームメイトが突然出した大声に驚くような場面もあり、気の弱い部分が目立つ。
しかし、誰に対しても優しく、そして他の人間ではイラッとしてしまうことでも気にしない、包容力のある性格でもある。

キャプテンの花井から器のでかい人間だと褒められることも。
弱気な自分を変えたい!という意識も強く、

もっと練習しないといけない、と使命感にかられるシーンもある。向上心のある高校生って、なんか良いですよね。

このように、西浦高校の面々は、誰しもが深いところまでキャラ作りされている。
なんなら試合する相手チームにまでストーリーがある。
人間味あふれる部分を知れば、応援したくなるし、彼らと話してみたいとも思える。
ちょっと彼らとキャッチボールしたいな、なんて。

16巻の、みんなが集まってエッチな話をする場面もぜひ読んでみてほしい。
それぞれの性癖が丸裸だ。これを読むと「ひぐちアサさん…こんなのバラしたら彼らがかわいそうですよ…どれだけの人が読んでると思ってるんですか…」と考えてしまう。
漫画のキャラクターなのに「かわいそうだな」と思えるぐらい、自分は彼らのことが好きなんだと、私はここで感じた。

そんな男子高校生たちのやり取りを聞いていた監督である百枝まりあは、このように思う。
「スポーツは気の置けないチームメイトと一緒にやると楽しい」。
そして私は、自分の漫画漬けだった高校時代を思い出す。
全然…うらやましくないぞ!
全然!本当に!
でも、今からでも、私も気の置けない仲間たちと一緒に甲子園を目指させてくれ。
ちくしょう。

おおきく振りかぶって/ひぐちアサ 講談社