「神」は生きるよすがになるか。宗教がモチーフとなる作品3選

まとめ

突然チャイムが鳴って出ると知らない人。熱心に自分の信じる宗教について語るが、何を言っているのかよくわからない。そんな経験した人はいないだろうか。
 
私はかなりの数、ある。おそらく「信じやすそう」と思われているのだろう。家にもくるし、学生時代は何度かキャンパスでも勧誘されたし、社会人になってからは合コンで知り合った女性からも熱心に勧められた。
 
私はあまりそういったものを信じていないので、「なんか怖いな」と思って深入りはしない。ただ、彼ら彼女らがなぜそこまでして熱心に信じ、広めようとするのか、それには興味があった。

 
そういった世界を、フィクションやノンフィクションの形で垣間見れる漫画作品は多くある。今回はその中からタイプの違う3作品をピックアップした。私のようにカルト宗教に勧誘されがちで困っている人にこそ読んでほしい。
 
 

捨てがたき人々

 

捨てがたき人々
©ジョージ秋山
 
『銭ゲバ』などで有名なジョージ秋山先生の『捨てがたき人々』は、新興宗教「神我の湖」を軸に、人間の深い業について描いた作品だ。
 

 
この主人公である狸穴 勇介、なかなか不憫な男である。
 
幼少期に酒を飲んでは暴れる父親に愛想を尽かし、母親は別の男と出て行った。出て行く母親に泣きながら一緒に連れて行ってくれと頼むが、母親は彼の願いを無視して新しい男の車で走り去ってしまう。貧乏で給食費が支払えないせいで、彼はお腹を空かせながら、気づいてもらおうと校庭の鉄棒にぶら下がる(しかし誰にも助けてはもらえない)。
 
大人になりひとり立ちしたものの、ブサイクで品のない顔相のせいで、第一印象は最悪。会社の面接に行っても落とされる。通りすがりの女性にも軽蔑される。彼は教養がなく、頭は食と性のことばかり。相手を舐め回すように見る不審な振る舞いをするのだから、他人に愛想をつかされても仕方のない部分はあるが、そんな教養のない彼に仕立て上げたのは、彼の責任というよりは、やはりその惨めな生い立ちによるところが大きいだろう(彼は親の愛情をまともに受けていないかったことを、折に触れて思い出す)。
 

 
しかし彼を優しく受け入れてくれる場所が現れる。「神我の湖」の熱心な信徒である弁当屋の娘、岡辺京子だ。彼女はブサイクだが、肉体は素晴らしいものをもっていた。彼は半ば無理やり(というか、ほとんど強姦の形で)彼女と肉体関係をもつ。そして、それがひとつの縁となり、彼は信徒が経営している会社に入社し、彼女との関係性も深まって行くのであった。
 

 
ちなみに、この作品は宗教をひとつのベースにしながらも、そこに描かれているのは人間の浅ましさや愚かさなどばかりである。熱心な信徒である京子は性欲が強くセックスに溺れやすい上に、母親に対して冷たい言葉を放つ一面をもっている。主人公が入社した会社の社長も信徒だが、愛人との手を切ることができていない。彼の娘にいたっては(信徒ではないものの)隠れてマリファナを吸っている。
 
時折モノローグとして現れる宗教の教えはとても立派なものだが、そこで生きる人々はまるでその教えを守れていないどころか、非常に愚かな姿ばかりを晒す。宗教にすがろうとしても、性欲にそれを邪魔される。宗教が誰も救わない、ただただ理不尽な現実がそこにある。
 

 
 

子供はわかってあげない

 

子供はわかってあげない
©田島列島/講談社
 

 
ひょんなことから、好きなアニメ作品が同じだと知り仲良くなった、クラスメイトの門司くんとサクタさん。ある日サクタさんは門司くんの実家に訪れると、彼の家に見覚えのあるお札があるのを見つける。それは去年の誕生日に送られてきたお札と同じものだった。送り主は書いていないが、おそらく5歳の頃に家を出て行った実の父親だろう、とサクタさんは言う。そのお札は、もじくんの祖父が入っている宗教法人「光の匣」のものだった。
 
父親の居場所を知りたがっているサクタさんに、門司くんは探偵をしている自分の兄を紹介し、本格的な父親探しが始まるのだった。しかし、その直後に兄のもとに訪れた新しい客によって、話は一気に複雑化する。彼らの依頼は、同じく宗教法人「光の匣」のお金を持ち逃げした教祖を探してほしいというものだったのだが、その写真と名前を見て、兄は教祖がサクタさんの父親だということを知ってしまうのだ。
 

 
果たしてサクタさんの実の父親は、本当にお金を持ち逃げしたのか。サクタさんは実際に父親の元を訪れて、久しぶりの親子水入らずの時間を楽しみながら、その真相について伺う機会を探るのでした。
 
新興宗教の教祖と、その信徒が作品のキーマンにはなるものの、そこまで宗教描写が多くないこの作品。実際に教祖である父親は人の心を読むことができる超能力をもっており、詐欺的なカルト宗教ではないのは確かだ。また、登場する信徒も和やかな性格で、超能力に本気で取り組もうとしている。
 
むしろ牧歌的で爽やかな青春物語に、宗教というモチーフがスパイスとして効いている作品だろう。それに、どうしても新興宗教というと良いイメージは湧きづらいが、このような平和な宗教団体(というほど如実に描かれているわけではないが)もあるはずだ。
 
 

よく宗教勧誘にくる人の家に生まれた子の話

 

よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話
©Saya Ishii/講談社
 

 
最後はエッセイ漫画である。数ある宗教の中でも「エホバの証人」は比較的よく知れ渡っているものではないだろうか。熱心な布教活動が特徴的で、教えが書かれた冊子をもって家を巡回していく。
 
そんな「エホバの証人」を信じる母親のもとに生まれた子供が送ってきた半生を描いたのがこの作品である。
 

 
自分で信じるものを選択する前に、母親による熱心な教育がなされていた。当時の彼女の日々の暮らしは、友達と遊んだり可愛い服を着たりすることも許されず、母親の教えに逆らおうとするものなら鞭で叩かれるという非常に辛い状況であったことが描かれている。
 

 
実録というだけあって、大変具体的に教団の内部の事情が明らかになっている。誕生会や七夕祭り、クリスマス会などといったバビロン的な(※教団から見て異教のこと、または異教が支配する世界)行事には参加することができない。人間の政治に参加してはいけないので、クラス委員を決める投票も白紙で出さないといけない。これではマトモな学校生活を送ることはかなり厳しいだろう。
 
次第に著者は人と関わる事をやめ、友達も作らず、陰口を叩かれる中、学校に行けない日も増えてくる。せっかく好きな人に告白されても、自分の家の宗教のせいで付き合うことができない。だんだんと自我が目覚めてくるようになり、著者は宗教に対して自分が抱いていた感情を母親に言葉にして伝えることを決意するのだ。
 

 
この作品は著者が受けた理不尽な仕打ちも含めて赤裸々に描かれているため、どうしても宗教に対して良いイメージをもつことはできないが、だからといって特定の宗教団体を糾弾しようというメッセージはもっていないように思える。実際、彼女が宗教から解放されることを選択したあとも、母親は信じ続けており、それを止めたり糾弾しようとはしていない。
 
今回紹介した作品で宗教のことが「わかる」とは言えないが、少なくともいくつかの視点で「感じる」くらいのことはできるように思える。ちなみにここには紹介しきれなかったが、実録エッセイ漫画は他にも多数あり、どれも独自の観点から描かれていて面白いのでぜひ読んでみてほしい。なんだか漠然として得体の知れない存在が、少し身近に感じられるかもしれない。
 
最後に付け加えておくと、私自身は、他人に迷惑をかけない限りは、否定も肯定もしたくないな、と思う。これは『子供はわかってあげない』のさりげない一コマだが、私もこれに120%同意だ、ということだけ表明してこのまとめを終わりにしたい。
 

 
 
捨てがたき人々/ジョージ秋山 P-ARTS
子供はわかってあげない/田島列島 講談社
よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話/いしいさや 講談社