ほのぼのとした画風&“ハッ”とさせる描写。『透明なゆりかご』で知られる沖田×華先生の新たな挑戦作が『お別れホスピタル』だ。彼女が思う“死生観”とは――

インタビュー

 

お別れホスピタル
©沖田×華/小学館

NHKで連続TVドラマ化もされた大ヒット作『透明なゆりかご』(講談社・刊)の沖田×華先生の最新作、『お別れホスピタル』。現在「週刊ビッグコミックスピリッツ」(小学館・刊)にて、絶賛シリーズ連載中。
本作は、“死”が間近となった患者が入院する病棟の看護師・辺見さんが主人公。時には自殺した患者の亡骸を目の当たりにする主人公たちの模様を、かわいらしい絵柄とは裏腹にリアルに、そしてシビアに描く。
そんな沖田先生の半生、そして彼女が考える“死生観”について、じっくりとお聞きした。

漫画というのは読むものであって、描くものではないと思っていました。

 

Q.漫画家になったきっかけを教えてください。
先生は幼少期、どんな少女でしたか?

沖田×華先生(以下、沖田):とにかくアホな少女でした(笑)

勉強はできないし、塾からも脱走して何度もクビになったり、家庭教師も何人も泣かしていて。その上、口だけは達者という、本当に嫌な子供でしたね(笑)

沖田×華先生(撮影/宮城夏子)

少女時代から漫画は描いていたのですか?

沖田:いや、ドラえもんを描いたりとか、模写とかその程度ですよ。親が自営業者で中華料理店をやっていたのですけど、店に劇画漫画ばっかり置いてあるんですね。だから、初めて読んだのがそんなのばっかりだったので(笑)、あんな絵描けるわけないだろうと。

漫画というのは読むものであって、描くものではないと思っていました。
周囲の女の子とも話が合うわけないし、みんな少年漫画を読んでいるのに、一人だけ本宮ひろ志先生の漫画読んでいたりとか(笑)

でも、そんな先生が、『透明なゆりかご』で講談社漫画賞の少女部門を受賞されるわけですよね。

沖田:なんでですかね?いや、ほんと、ドッキリだと思ったんですよ。そもそも、少女があんな漫画読むのかなって(笑)
授賞式に行ったら、タライが落ちてくるものだと思っていましたもの(笑)

いえいえ、読者は納得の賞ですよ! 

「私、アホなのかな」と思って看護師を辞めたら、発達障害だった

 

Q.看護師になったきっかけ、そして発達障害について教えてください。
さて、先生は前職が看護師という異色な経歴をお持ちですが、看護師を目指そうと思ったきっかけは何だったのですか?

沖田:両親が不安定な仕事をしていたからか、私に国家資格を取って安定した仕事に就いてほしいと思っていたんです。だから、幼いころから「看護師になれ」と言われていて、高校は“衛生看護科”があるところに進学しました。

看護師になることに、抵抗はありませんでしたか?

沖田:そうなるのが当たり前だと思っていましたね。二年生から病院に注射を打ったり、血圧を測るなどの実習に行くんですよ。准看護師になるために向けたカリキュラムを受けに行ってましたね。で、卒業時に准看護師の資格を取る試験がありまして。早くて18歳で准看護師になれるんですが、大体は進学して正看護師になるための看護専門学校に行くんです。
私は頭が悪いからか(笑)、専門学校は全部落ちてしまい、やむを得ず小児科の病院に就職しました。そこから一年浪人して、正看護師の専門学校に受かりました。そこで資格をとって、病院に就職しました。

そこはどんな病院だったのですか?

沖田:美容外科の病院です。その時に自分が“根本的なコミュニケーション”ができないということに気付きまして。人に上手く説明できないし、通じない。仕事も覚えられない。「私、やっぱりアホなのかな?」と思って、一年で辞めてしまいました。
単に家族全員B型だからいい加減な性格なのかとか(笑)、悩んだのですが、それが後に“発達障害”からくる症状だと気付いたんです。

気付いたきっかけは何だったのでしょう?

沖田:ADHDはもともと持っているのは知っていたのですが、当時SNSのコミュニティーで、たまたま発達障害のひとつのアスペルガー症候群のコミュを見つけたんです。
そこを覗いたら、まあ自分と同じ症状に当てはまることが書いてあるし、同じ症状で悩んでいるなあと。積極的に発達障害者が集まるオフ会にも参加するようになりましたね。

制限がある中でも自分の人生を楽しむ方法を見つけていって欲しい

 

Q.先生の作品のファンの中にも発達障害の方がいると思うのですが、その方々に気持ちの持ち方のアドバイスはありますか?
沖田:ええ~、難しいなあ(笑)

難しいですよねえ。

沖田:一口に発達障害と言っても、全部が同じではないんですよね。育ってきた環境でバラバラなので、みんな個性豊かと言うか。うつ病やパニック障害といった二次障害にもなってしまう人もいますし…。
みんな生き辛そうで、友達もなかなかできないですからね。私の身内にももう一人、発達障害の人間がいるのですが、ずっと引きこもっているんです。でも、パソコンでネットはやっているので、現実世界では一人ぼっちでもSNS上などでは仲間はいっぱいいるんですよ。そういった意味では、昔に比べたら救いがありますよね。
だから、発達障害の方々は、制限がある中でも自分の人生を楽しむ方法を見つけていって欲しいですね。

(撮影/宮城夏子)

待機室で暇つぶしに描いてみた漫画が、他の風俗譲たちのウケがよくて(笑)

 

Q.看護師を辞めてからは、何をやっていたのですか?
沖田:収入を下げたくなかったので、風俗で働いてました。

風俗!

沖田:でも、あまり体を触られるのが好きではないので、攻める側の(笑)
そしたら、その時、仕事場の待機室に置いてあった雑誌の桜井トシフミさん(現在、桜壱バーゲンさん)の漫画に衝撃を受けたんです。で、その待機室で暇つぶしに描いてみた漫画が、他の風俗譲たちのウケがよくて(笑)それがきっかけで漫画家になろうかなと。
ただ、当時は漫画家って、“漫画スクール”みたいな学校を出て、資格取らないと漫画家になれないと思っていたんですね。そしたら、桜井さんに「そんなもんねーよ」と言われて(笑)
で、某誌の新人賞に応募したら、選外奨励賞を頂けまして。それが本格的に漫画を描くことになったきっかけです。

『お別れホスピタル』は、かつての仲間から聞いた話と自分の想像力を複合させて描いている

Q.プロ漫画家になってからは、順風満帆だったのでしょうか。
沖田:いえいえ、そんなことは全くなく!
エロ系・お笑い系の4コマばっかり描いていたのですが、大して売れませんでした。その後、「発達障害」と「いじめ」をテーマにした書き下ろしを描かないかとお話を頂いて、『ニトロちゃん~みんなと違う、発達障害の私~』(光文社・刊)を描きました。ただ、当時は題材が暗くてなんか嫌でして。
その後に講談社から声がかかって『ガキのためいき』を描いたのですが、これもまた、まったく売れず(笑)

そうして、どうもショートやエッセイが売れないということになり、講談社で『ギリギリムスメ』というストーリー漫画を試したのですが、初めてのフィクションだったので難しかったです。この時、同時に浮かんできたのが『透明なゆりかご』の一話目でした。
その時は「『ギリギリムスメ』が終わってからね!」と保留になり、ボツになったものだと思っていたんです(笑)でも、一年後に、自分でも忘れていたのですが、担当からあの話をやろうと言われて。

なるほど。漫画で描かれていることは、実話が多いのですか?

沖田:『お別れホスピタル』以前の作品は、ほぼ実話です。実話が多すぎて、身内からクレームが来るくらいの(笑)

「ビッグコミックスピリッツ」で描くきっかけは、何だったのでしょう?

沖田:『ハイスクールばっかちゃん』という、高校生時代のエピソードを元にした漫画を「ビッグコミックスぺリオール」で連載していたのですが、その時の担当編集者が『お別れホスピタル』の担当なんです。

さて、そんな『お別れホスピタル』なのですが、『透明なゆりかご』は主に“生”がテーマだとしたら、こちらは“死”がテーマだと思うんです。その辺のテーマの違いを作品で描く上で意識されている部分はありますか?

沖田:まず、『透明なゆりかご』は、主人公の名前も自分と同じにして、自身の経験をベースにしています。だから、私目線の物語なんです。でも『お別れホスピタル』は、かつての仲間から聞いた話と自分の想像力を複合させて描いているので、私としては客観的な目線なんです。

『お別れホスピタル』を描こうと思ったキッカケは、昔の看護師仲間と会った時に終末期の患者さんの話を聞いていたら、良くも悪くも滅茶苦茶面白かったことなんです。
例えば、口うるさくて面倒くさいおじいちゃんの患者でも、いいところ、憎めないところがあったり。カルテを見ると、「今、こんな症状なんだ…」と嫌いだった患者に同情したり。
大げさかもしれませんが、終末期の患者さんが、“人間であった何か”を見つけるというところに、すごいドラマがあると思ったんです。
この作品を描いて気付いたのは、社会的に忘れられてしまった人達が送ってきた「人生」を描くのが、私は好きなんだなということですね。

なるほど。
では『お別れホスピタル』で、沖田先生自身が特に印象に残っているエピソードはありますか?

沖田:カルテ6の「本庄 昇」さんの回ですね。病院の患者さんの中で一番明るかった中小企業の元社長が、自殺してしまうという…。

あれは、私も一番考えさせられた話です。何かベースになる話があったんですか?

沖田:そうですね。私の見聞きしたいくつかの話をミックスしています。すごく頭のいい患者さんで、看護師さんが循環する時間なども全て調べていて、わからないように自殺を図ったとか…。第一発見者の看護師さんは、ショックでしばらく引きこもっていたそうです。

看護師さんからすれば、自分のせいだと、思ってしまいますよね…。あの話で、ヘルパーさんが警察に通報してはいけないということを知りました。

沖田:規則は、病院によりけりなんですけどね。あの話の病院では、基本的には医療従事者が第一発見者にならなければいけないということにしています。そういうところはリアルに沿って漫画にしたいと、常々考えています。

主人公・辺見が思った「その時初めて知ったことがある。人は死ぬと――――」のくだりが、とてもグッときました。

沖田:ありがとうございます。あれが描きたかったんです。

 “生と死”って、平等だと思うんですよ

 

Q.自身の“死生感”と“絵のタッチ”について、お聞きしたいです。
先生が“死生感”について影響を受けた作品は、ありますか?

沖田:海外ドラマなのですが、『シックス・フィート・アンダー』からは、結構影響と言うか、衝撃を受けました。欧米の死生観って、日本とは違うんですよ。日本では大体黒いんですけど、欧米では真っ白で表現されていて。その明暗の差は何なんだろう、と思わされました。

葬儀屋一家の話で、独特なユーモアがあるところも好きです。

独特と言えば、先生の絵のタッチも独特ですよね?

沖田:これでも、上手くなったんですって~(笑)! 昔はもっと滅茶苦茶でしたよ~。

…いえ、上手い下手ではなく、このタッチでこのテーマという漫画は、かつてないなと思いまして!

沖田:ああ、ありがとうございます! ありがたく受けとっておきます(笑)

さて、これから作品を通して描いていくことではあると思いますが、先生自身が考える“死生感”について今一度お聞かせいただきたいのですが。

沖田: “生と死”って、平等だと思うんですよ。生きていることも死んでいることも、同じライン上にあると言うか。

早いか遅いかで、誰でもいつかは死にますからね…。

沖田:うん、そういうことだと思うんですね。

あと、自分の経験からも昔の仲間の話からも思うんですが、身内の死こそ、死ぬまで他人事(ひとごと)な感覚なんだと思います。まったくお見舞いに来なかった身内が、死んだことを伝えると一番驚くという。

なるほど~。介護でもしてこなかった限り、それはあるかもしれませんね。先生ご自身は、長生きしたいですか?

沖田:いや、それが、大してしたくないんですよ(笑)50歳くらいまで生きられればいいかなあと。年金だってもらえるかわからないし、漫画家だっていつまで続けられるかわからないし(笑)
ゆくゆく、漫画家同士で同じマンションに住めたらいいですね。誰か調子悪くなったら、駆けつけたり、死んだらすぐに気付けるじゃないですか(笑)

なんか切ないですが、そのシステムいいですね! トキワ荘みたいで(笑)

沖田:そう、そんな暮らしをしたい(笑)

さて、かつての同僚からのお話をベースにしているという『お別れホスピタル』なのですが、今後の展開も気になります!

沖田:たとえば、今構想している中では、老人同士の恋愛話なんかを考えています。おじいさん、おばあさんの話を聞くと、面白いんですよ。年取ろうが、人生の終着駅近くでも、男と女は変わらないなっていう(笑)
その他にもまだまだ描きたい患者さんがいますし、看護師たちのリアルな本音も描いていきたいと思っています。

それは、楽しみです!最後に読者に一言!

沖田:おこがましいですが、この漫画を読んで、“人間らしく生きること”ということを感じ取ってくれたら、嬉しいです。こんなんでいいんです(笑)?

終始明るい笑顔で話すのだが、どこか儚げな雰囲気をかもし出す沖田×華先生。
作家の人間性は作品に溢れ出すのだということを垣間見たインタビューでした。

(撮影/宮城夏子)

『お別れホスピタル』は「ビッグコミックスピリッツ」にてシリーズ連載中です。第9話は、11/19発売号に掲載されています。

インタビューと併せて、是非チェックしてみてください!

お別れホスピタル/沖田×華 小学館

週刊ビッグコミックスピリッツ 小学館