まんが王国ラボ

大事に使われ続けたモノは、かわいい女の子に変身する『しゅきしゅき大手記さん』

『しゅきしゅき大手記さん』。口に出すのは少し恥ずかしいタイトルだが、いたって健全な4コマ&ショートストーリー漫画だ(ちょっとエッチなネタもある)。

高校に通うため、モノフェチの少年がやってきた祖父の骨董店は、付喪神(つくもがみ, 長い年月を経た道具などに神や精霊(霊魂)などが宿ったもの)たちの巣窟だった。「ヒト」と「モノ」を巡る、騒がしくも物悲しい物語が始まる。

©こめつぶ/GOT

物好きの少年、物の怪と出会う

人と関わるのが苦手な高校生、鬼門虎一郎。春休み明けから始まる学校生活には憂鬱を感じているものの、祖父の店「鬼門骨董店」での暮らし自体は楽しみだった。

古いモノはいい。薄っぺらい人間と違って、歴史の重みを感じさせる。ペチャクチャうるさい人間と違って、何も喋らない。

だが、鬼門骨董店のモノたちは――喋った。

モノたちの親玉である大手記童子は、江戸・明治時代の商人が使っていた帳簿「大福帳」の付喪神。見聞きしたあらゆる物事を記憶しており、13年前に一度この店に来たきりの虎一郎のこともちゃんと覚えていた。

店に持ち込まれたモノに付喪神が憑いているかどうかを鑑定するのが、鬼門骨董店の主な仕事だという。旅行中の祖父に代わって店主を任された虎一郎と大手記童子は、姿形、出自、何もかもバラバラな付喪神たちと出会い、心を通わせていく。

付喪神は、日本最古の擬人化だった?

作られてから長い年月が経った道具は、人や動物の姿をした妖怪「付喪神」になるという。

とどのつまり、擬人化(擬獣化)だ。室町時代の書物にも付喪神の記述があるらしく、日本人は昔からモノを擬人化させるのが好きだったのかもしれない。

本作の見どころは、何といっても付喪神たちの秀逸なビジュアルに尽きる。古時計、熊の剥製、コニカC35(1968年に発売された小型カメラ)、エトセトラ。元になったモノの特徴をうまく残したデザインの付喪神たちが、直線と曲線のメリハリが効いたスタイリッシュな絵柄で描かれている。

某・刀剣擬人化ゲームよろしく、日本刀の付喪神も登場する。しかし、本作のそれはいわゆる「名刀」ではなく、「興亜一心刀」という軍刀なのが面白い。

南満州鉄道で作られた歴史的背景などから、昔ながらの日本刀に比べて疎んじられることが多い興亜一心刀。だが、大量生産に向き、折れにくく長持ちするという点では、ある意味もっとも道具らしい刀だともいえる。ならば、付喪神に化けてもおかしくない。作者の「モノ」に対する造詣の深さが感じられる。

「ヒト」と「モノ」をつなぐもの

モノフェチの少年と、かわいい付喪神たちがおりなす日常ファンタジー『しゅきしゅき大手記さん』。

本作では繰り返し、「モノを愛する」ということについて描かれる。この場合の「愛する」は、もちろん「大事にする」の言い換えではなく、そのままの意味だ。何せ、付喪神たちは人間と同じように喋るのだから。

ピアノの付喪神「洋琴」は、学校の七不思議のひとつ。ある人に聴かせるため旧校舎でピアノを弾き続けていたが、その人と二度と会えないことを知って成仏しかけてしまう。

落ち込む洋琴に、虎一郎は自分がその人の代わりに旧校舎に通うと申し出る。モノフェチを公言する以上、その愛は一方通行であってはいけない。相手が何を欲しているのか、モノの声に真摯に耳を傾ける必要があることを彼は分かっている。

主人が亡くなってからも頑なに鍵を閉ざし続けていた、金庫の付喪神「ボックス」。金庫の中には、ボックスと彼女の主人が愛し合っていたことが分かる写真が収められていた。

ボックスの心中を察しながらも、虎一郎に好意を抱く大手記童子はその写真を見て笑みを浮かべる。「ヒト」と「モノ」の間にも恋愛関係が成立することが証明されたからだ。ふたりが一線を越える日は来るのか、今後の展開に注目したい。

「付喪神」の名前は、「九十九(つくも)」から来ているという。それだけ長い年月という意味だ。道具が壊れても修理せずに買い換えるのが当たり前の現代、付喪神を生み出せるほどモノを愛する人は少なくなっているのかもしれない。

この記事を書いているノートPCも、買ってから1年半しか経っていないのにバッテリーの減りが早くなり始めている。いつ買い換えようかと考えていたが、本作を読んで「もう少し使い続けてみよう」と思った。もしかしたら、かわいい付喪神に化けてくれるかもしれないから……。

しゅきしゅき大手記さん/こめつぶ GOT