幽霊でも、妖怪でもない。本当のおぞましさを描いた傑作ホラー漫画『ギョ』を知っているか

レビュー

「人がもっとも恐れるのは、自分の理解を超える存在である」

という言葉を、どこかで聞いたことがある。

確かに言われてみれば、自分と思考回路が全く違う人間にまくし立てられるのは怖いし、何を考えているのか分からない人のことも「怖い」と感じたことがある。

さらに言えば、歴史上で繰り返されてきた差別だって、それが元で起きた争いだって、相手のことが分からないし、理解ができなくて恐ろしいから起きたことなんじゃないか、って、そんな風に思ったこともある。

そして思い当たる節はもう一つあって、最近読んだホラー漫画のこと。

その漫画に登場するのは幽霊でもなくて、妖怪でもなくて。人間の理解を超越した「何か」が、人類を蝕んでいく。これがものすごく怖くって、自分の理解を超える存在が一番怖いっていう言葉を、思わず思い出した。

伊藤潤二先生が描いた『ギョ』という作品だ。

小さな恐怖から始まる、大きな悲劇

ギョ
©伊藤潤二/小学館

主人公の忠(ただし)は恋人の華織(かおり)を連れ、叔父の別荘を借りて沖縄旅行を楽しんでいた。

ダイビングをしていた忠は、海中でものすごいスピードで移動する謎の物体を目撃した直後、サメに見つかり追われてしまう。間一髪のところで助かった忠は、華織とともに別荘に戻ることに。

華織は、異常なまでに匂いに敏感な女性である。キスを迫る忠に対し「口が臭うのが嫌なので、これからキスをするときは毎度歯を磨いてほしい」とハッキリと告げるほど気も強い(このシーンで「かわいそうだな」と思って泣いた)。

口論になって別荘を飛び出した華織を探していた忠は、華織の悲鳴を聞き、急いで駆けつける。するとそこには、草むらの中を高速で移動する「何か」がいた……。

『ギョ』は、人間に忍び寄る「謎の生命体」が描かれたSFホラー漫画だ。

「何か」の正体とは……

この作品のキーになる要素は「腐乱臭」である。

2人は別荘に無事帰ったものの、部屋が異様に臭うことに気が付く。

正体不明の「何か」が近付いてくると、必ず強い腐乱臭があたりに立ち込めるのだ。匂いに敏感な華織は、忠が感じ取れないほどのわずかな腐乱臭でも気になって仕方がなくなり、次第に平静を保てなくなってしまう。

別荘に何かがいることを察した忠は物音のする方に近づき、どうにか謎の生物を退治することに成功する。恐る恐る仕留めたものを確認した忠は、そのおぞましい姿に驚愕する。

魚のような生物に、虫のような足が生えている物体。

この謎の生命体こそが、異臭を放ち、高速で移動していたものの正体だったのである。

不気味な上、一体どんな生物なのかも分からないが、ひとまず異臭の原因を退治したことでひと安心した忠に対し、華織はまだ「異変」を感じ、ヒステリーに陥っていた。

これはまだ物語のほんの「序章」部分。本当の恐怖は、ここから始まるのだった……。

ホラー界の鬼才の描く、新しいSFホラー

『ギョ』を手がけたのは、有名ホラー漫画『富江』の作者である伊藤潤二先生。ホラー漫画界の鬼才であり、不気味な世界観を表現することに関して、彼の右に出るものはいないだろう。

私は伊藤潤二先生の漫画が好きでよく読んでいるのだが、いずれの作品にも共通して「抜きん出た発想力」と「未体験のおぞましさ」を感じることができる。それはこの『ギョ』という作品についてもそうだ。

足の生えた魚のような謎の生命体も、これはただの生き物ではない。その正体は物語が進むにつれて明らかになっていくのだが、この作品を読み終えた際の私の感想は「よくもまあ、こんなにもおぞましい話を思いついたなあ」というものだった。それが、伊藤潤二先生の作品の最大の魅力なのだけれど。

ただのSF作品でもない。ましてやただのホラー作品でもない。もしこの作品を何かのカテゴリーに分類するならば「SFホラー」だと思う。『ギョ』は全2巻だが、この2巻の中に得体の知れぬものの不気味さ、人間の愛憎、人類の存亡の危機など様々な要素がギュッと詰まっている。

ホラー作品が好きであれば伊藤潤二先生を知っている人が多いと思うけれど、もしまだ未読であればぜひ『ギョ』を手に取ってみてほしい。いつものホラー漫画とは少し違った、おぞましい世界観を味わうことができるだろうから。

ギョ/伊藤潤二 小学館