「ギエピー!」漫画版『ポケットモンスター』を読み返すと、もはやポケモンではなかった

レビュー

「ポケモンの”ピッピ”を思い浮かべてください」と言われたら、あなたの頭の中には何がイメージされるだろうか?

愛くるしい表情に、キュートなピンク色のボディ。
お月見山のアイドルで、ポケモンの中でも、
一、二を争う人気ポケモン、それがピッピだ。

でも、頭の奥底で違うイメージがモゾモゾしている人がいるのではないだろうか?

「あれ、ピッピってそんなんだっけ?」
「小学生の頃、僕が見ていたピッピとは、何か違う気がする。」
「えっ、ピッピってもっと”断末魔の叫び”をあげてませんでした?」

あなたの頭の中で、モゾモゾしているものの正体、それはコイツに違いない。

そう、この身体の大部分を顔が占有し、時にはリアクションの際に「ギエピー!!」と雄叫びをあげるポケモンこそ、我らのピッピ。

でも、いざ、大人になってまじまじと見ると「あれ……これ、本当にピッピ?」と疑ってしまうほどのビジュアル。

それもそのはず、作者の穴久保先生自ら、連載当初は資料がなく、「事故」が起きていたことを認めているのだ。(http://originalnews.nico/69577 )

今年は、Switch版で、初代ポケモンのリマスターが発売された記念すべき年。
ゲームも原点に還るなら、漫画も原点へ還らねば!

そこで、今回は「コロコロコミック」で連載されていた「穴久保ポケモン」こと『ポケットモンスター』の「事故」を振り返ってみた。

ポケットモンスター
©穴久保幸作/小学館

事故①もはやピッピではない

改めて読み直してわかったのが、「ピッピではない」ということだ。
いや、そんなことは子供の頃から薄々気づいていたのだが、重ね重ね、大人になってわかるのがピッピではないのだ。もう絶対にピッピではない。

まず、ピッピはオナラをしない。
しかし、穴久保ピッピは、「お前はおならポケモンか」ってくらい屁を出す。
「ようせいポケモン」としての矜持は屁で消えている。

そして、ピッピは舌でなめない。
ピッピに「舌が長い」という設定はないし、「したでなめる」をおぼえるわけでもない。

なんだろうこれは。江戸時代の妖怪?
もはや、舌の長い小太りのばくだんいわじゃねーか。
これが「妖精」と名乗っていることに違和感を覚えるレベルだ。

やっていることが完全に「カー◯ィ」である。
ピンク色で丸くてほぼ一頭身というビジュアルの被りがあるにもかかわらず、自ら寄せていくこのスタイル。

もちろん、ピッピに大食いの設定はない。
このように、すでに主人公のピッピに大きな事故が起こっていることがわかると思う。

事故②もはやピカチュウではない

お分かりだろうか。
アクロバティックな桃ダルマに目が行きがちなこの漫画、目を凝らしてみれば、もう一匹、クレイジーなネズミが息を潜めていたのだ。

出っ歯・小太り・暗黒のまなこ。
なぜあんなに可愛いピカチュウに、この3種のネガティブを足してしまったのか。

ピッピに続く第二の事故がここに。

まず、鳴き声がちがう。
「ピチュー」はピカチュウの進化前ピチューの鳴き声だ。

つまり、ピカチュウが幼児退行してしまっているということなのだろうか。
赤ちゃんプレイでバブバブ言葉を話すおじさんだと思うと、出っ歯・小太り・漆黒のまなこの理由もわかってくるかもしれない。

(ちなみに、大きな力が後ろで働いたせいか、「ピチュ」しか話さなかったピカチュウが、4巻から突如「ピカ」と話しだす。)

さらに、はっきり自信を持って言えるが、ピカチュウはうんこをしないだろう。
自分の身体を超える大きさのうんこを排出することは絶対にありえない。

ましてや、ピカチュウほどの売れっ子が自分のうんこに頭を突っ込むことは絶対にない。体を張りすぎている。

もちろん、おならを出すこともなければ、

目から謎の光線を発することもない。
世界的人気のキャラクター、ピカチュウに起きていたこの一連の事故。
息を吐くように下品を重ねるこの姿、もはや「資料がなかった」レベルではない済まないような気もする。

事故③もはやポケモンでもない

ここまでで、この漫画『ポケットモンスター』に登場する彼らが、ピッピでもなく、ピカチュウでもないことがわかったと思うが、この作品、それだけではない。

「え、これポケモン?」と思えるシーンが度々存在するのだ。
そう、もはやポケモンでもないのである。

トキワの森に普通にミュウツーがいる、ペルシアンの額の宝石が「邪眼」みたいな第3の眼になっている、パラスの作画がアメコミ、ビートルが謎に不機嫌など、こちらのツッコミの速度をはるかに超える事故が登場する。

これに至っては、自分で自分の書いた絵に「新種のポケモン?」と問うレベル。
どうしたんだ、穴久保先生。あなたが書いているのはポケモンだったはずだろ。ポケモンだって言ってくれよ!

ひでんマシンは決して「装着型のマシーン」ではないし、

ポケモンは水着を着る必要ないだろ。

何度でも言いたい。もうこれ、もはや、ポケモンじゃない!

事故が人間とポケモンの共生関係を生んでいる?

こうやって読み直してみると、漫画版『ポケットモンスター』がいかに事故を起こしまくっていたかがわかる。

あの頃、僕らがポケモンだと思って読んでいたこれは、一体何だったのだ……。
そんな疑問で頭がいっぱいになった。

ただ、気になったのは、この作品で唯一、湿っぽくなった話のこと。
それは赤緑青版の最終話。ポケモンマスターになったレッドがマサラタウンに帰ってきた時の話だ。

目的を果たし、この旅が終わった後、僕らはどうなるのか?
ピッピがふいにレッドに尋ねるシーン。

この後すぐ、レッドは「何言ってんだ、自由を満喫するだけさー!」とお茶を濁すが、このピッピの発言こそ、ポケモンと人間の関係を考えさせる質問だったのである。

たしかに、なぜポケモントレーナーはポケモンをゲットするのだろう。どうしてポケモン図鑑を完成させるのだろうか。

人間にとって、トレーナーにとって、ポケモンとはコレクションの一つに過ぎないのか? 目的を果たすための道具に過ぎないのか? 
ピッピは、我々人間に問おうとしているのだ。

もちろん他のポケモン作品でも、「人間とポケモンの共生」はよく描かれるテーマだ。
しかし、この漫画版『ポケットモンスター』ほど、人間とポケモンの距離が近い世界は存在しない。

なんせ、ピカチュウが人間と同じようにうんこをするのだから!

もしかすると、こうした人間とポケモンのフラットな世界が描かれているのは、設定資料がなかったために、穴久保先生がやけに人間らしいポケモンを描いてしまった「事故」のおかげだと言えるのかもしれない。

読み返してみると、事故はやっぱりあった。
でも、今もなお、この作品を思い出してしまうのは、この事故であるのは間違いない。

やっぱり、僕は可愛くゆびをふっているピッピよりも「ギエピー!!!」と叫んでいるブサイクなピッピが好きである。

ポケットモンスター/穴久保幸作 小学館