本当の「善」と「悪」とは何か?『いぬやしき』で描かれる存在意義の観念について

レビュー

何がいいことで、何が悪いことか。

みなさんには、これがすぐに判断できるだろうか?

私には、それがよくわからない。「いいこと」も「悪いこと」も人によって異なるからだ。
そんな私が最近読んだ『いぬやしき』という漫画がある。『GANTZ(ガンツ)』の作者・奥浩哉先生が手がけた人気漫画で、2017年にアニメ化、2018年には実写映画化もされた。

「身体がロボットになったヒーローが悪い奴を倒す、よくあるバトル漫画でしょ?」と思っていたのだが、それは大間違いだった。アクションというよりは、緻密な心理描写や、人間関係が描かれているヒューマンストーリーに近いかもしれない。

『いぬやしき』には「善」と「悪」を象徴するキャラクターがそれぞれ登場する。2人は敵対する存在なのだけれど、それぞれの心の中には「大切な人を守りたい」という共通の信念があるのだ。

ただのバトル漫画ではない『いぬやしき』。今回は、その魅力について語りたい。

いぬやしき
©Hiroya Oku/講談社

主人公は冴えないサラリーマン(58歳)

犬屋敷壱郎(いぬやしき いちろう)、58歳。

妻と高校生の娘、中学生の息子を持つ彼は冴えないサラリーマンで、家庭内でも疎ましがられ、いつも孤独を感じていた。

ある日、壱郎は医師から「胃ガン」と診断され、余命3ヶ月であると宣告される。愛する家族のために働き続け、ようやくマイホームを建てた直後のことだった。壱郎は、自分がもうすぐ死ぬことを家族に打ち明けるか悩んだ。でも、家族が悲しんでくれるのか、自分の死を惜しんでくれるのかが分からず、とうとう打ち明けることができなかった。

しかし彼は、自分が想像していた死に方とは全く違う形で死亡する。愛犬のはな子の散歩中に、宇宙人が引き起こした事故に巻き込まれて死んでしまったのだ。地球で事故を起こしたことを隠蔽したい宇宙人は、壱郎の生前の記憶や心をそのまま、機械の身体に移植した。一度死亡した壱郎は、失った肉体に代わる機械の身体を手に入れて「生き返った」のだ。

『いぬやしき』は、そんな主人公・犬屋敷壱郎がこの世にはびこる「悪」から人々を救済する、SF漫画である。

正直この漫画を読み始めたとき、私の心の中は「悲しみ」とか「怒り」とか、そういう感情でいっぱいになった。漫画で描かれている壱郎は、真面目で、正義感が強くて、愛情に満ち溢れた人間である。しかし彼は内気で優しく、肉体的な強さを持ち合わせているわけではない。

そのため電車で迷惑行為を行う若者や、街中で見かけたイジメに対して、怒りに震えながらも、見て見ぬ振りをすることしかできなかった。なぜなら、彼はヒーローじゃないからだ。普通の、58歳のサラリーマンだからだ。彼が注意をしたところで、きっと「悪人」に敵うはずもなく、誰かを救うこともできない。「善」が「悪」に打ち勝つことは、この世界ではきっと難しい。

無力の自分を情けなく思う壱郎の哀愁漂う姿には、思わず共感してしまうし、心が苦しくなってしまう。

ただ、壱郎の身体が機械になってしまったことで、物語は大きく動く。

彼は日常生活の中で、自分が機械になってしまったことに気がつき、大きく狼狽する。しかし、不良少年たちから集団リンチを受けているホームレスの男性を目撃した際、機械の身体を使って不良たちを撃退、ホームレスの男性を救済することができた。

そして、彼の不思議な能力はこれだけではなかった。現代医療で治せない病気や怪我を完治させることができるようになったのだ。これらの経験から、壱郎は自らの身体を使って、人々を救済することで自分の「存在意義」を見出すようになる。

ところが、そんな壱郎にとって脅威となる人物が現れる。

相対する敵は、高校生

彼の名は、獅子神 皓(ししがみ ひろ)。壱郎が「死んだ」あの日、同じ事故に巻き込まれて死亡し、機械の身体を手に入れて蘇った高校生である。

『いぬやしき』では壱郎が「善」だとすれば、皓は「悪」の存在として描かれている。

皓は自分の家族や友人に対しては優しいが、親友である安堂直行(あんどう なおゆき)をイジメていた同級生をためらいなく殺したり、ATMから不正に金を引き出すなど、良心を欠き、非常に冷酷な一面を持つ。

ある日目の前で電車の飛び込み自殺を目撃した皓は、自分が「生きている」ことを実感するために、機械の身体を使い、無差別に人を殺すようになる。

私としては『いぬやしき』の面白さは、ここにあると思う。

壱郎と皓は、自らの「存在意義」を見出すために、同じように与えられた能力を対照的なことに使っているのだ。物語の中で、皓は身勝手に、無差別に、大量の人間を殺戮していく。壱郎は人々を守るため、皓と対立し、戦うことを決意する。

「なんなんだ、お前。」

彼らは互いに異質な存在であり、決して分かりあうことはできない。それでも、2人にはかけがえのない大切な人がいる。それぞれの大切な人を守るために、彼らは戦い、ただ必死に「生きよう」とする。

ストーリーが進むほどに壱郎や皓のキャラクター、心情、いびつな愛情があらわになっていき、「善とは何なのか、悪とは何なのか」を考えさせられる。

とくに皓に関しては無差別に人殺しをしていて、その行為は決して許されるべきではない。しかし、母をはじめ、自分が愛する人たちのために人殺しをやめることを決意し、病院を回って、不治の病に侵された人たちを救済する活動をしたこともあった。この行動は、きっと彼なりの「償い」だったのだと思う。

ネタバレになってしまうのでここから先は詳しく書けないが、償いを始めた皓に、ある事件が起こる。それがきっかけで、皓はまたしても暴走を始める……。

『いぬやしき』を通して考える「善」と「悪」

人を殺すことは、絶対に許されないことだ。でも、この物語を通して皓に感情移入してしまう人もきっと多いと思うし、「彼は本当に悪人なのだろうか」と思うこともあるんじゃないかと、個人的にはそう思ってしまう。

奥浩哉先生は、『いぬやしき』を通して「善と悪は表裏一体だ」ということを伝えたかったのだろうか。こんなにも複雑な人間模様を、計画して描いたのだろうか。

もしそうであろうとなかろうと、『いぬやしき』が私の心に与えた衝撃とメッセージ性は、あまりにも大きい。

本作は、全編を通して「明るい作品」だとは言えない。しかし「人間の心の闇の部分」や「人間としての在り方」が深く描かれているため、そういった作品が好きな人にはぜひおすすめしたい作品である。

いぬやしき/奥浩哉 講談社