恐ろしくて神秘的な隣人。蟲と人々の息遣いが聞こえてくる漫画『蟲師』

レビュー

突然ですが問題です。「宿毛市」は高知県西部にある市の名前ですが、さてなんと読むでしょうか。
答えは「すくも」。「宿」が「すく」で「毛」が「も」。

市のホームページによると、3000、4000年以上前の宿毛市一帯は遠浅の海で、河口なこともあり、葦という植物が生い茂っていた。そして、季節が変わると葦は枯れる。その枯れた葦のことを「すくも」と呼んでいた…そういう由来があるそうだ。
今の宿毛市は、確かに河口であり海端ではあるが、葦が生い茂っているような感じはない。コンビニが点在している普通の街だ。

さて、なぜ「宿毛市」を取り上げたかというと、私の出身地だからだ。高知県西部、愛媛県との県境にある宿毛市。私はそこに高校卒業まで住んでいた。
そして「宿毛」という地名については気にせず、暮らしていた。
いや、よくよく見直すと「宿毛」と書いて「すくも」とは、普通は読まないだろう。当たり前過ぎてそこに疑問を持てなかったというか。何の変哲もない、普通の街だったから。

そういう「当たり前のもの」が、ふと気になることがある。
なので調べてみると、意外なことが知れる。案外、東京のファッションビルの名前には詳しくても、今自分の住んでいるところの地名の由来は知らない、という人は多いのかもしれない。

今回ご紹介する漫画『蟲師』でも私は、当たり前だからこそそれが見えていなかったのではないか、という思いを抱いた。
いるようで、いないようで、いる。今これを書いている私の隣にも「蟲」はいるのかもしれない。

蟲師
©漆原友紀/講談社

『蟲師』の主人公はギンコという白髪の青年。「蟲」が見える体質で、その経験と知識を活かし蟲師を生業にして生活している。
では「蟲」とは何か?
これは説明が難しいが、生き物であって生き物ではなく、しかし命はある、という存在。
基本的には目には見えないが、そこら中にいる。これが見える体質の人間がギンコたち蟲師だが、そうじゃない一般の人の中にも見える者はいる。
姿形は虫だったり、動物だったり、虹などの自然現象のようだったり、得体の知れない何かだったり…人間のようだったり。蟲が見えない人にも見えてしまう、そういうものもいる。

さてこの『蟲師』だが、全編通してのストーリー性は特にない。
いやその時々、ギンコの過去に触れる話やたびたび登場する人物はいるが、基本的はショートショート、短い話を集めたような形態だ。
なので『蟲師』をオススメするとなると「この話が好き!」という話し方になる。
ということで私のオススメの話を3つほど簡単にご紹介したい。

こちらは地主の子、沢とワタリ(土地を渡り歩く蟲師の集団のこと)のイサザの関係性を描いた話『草を踏む音』。
山の中で偶然出会った2人。最初、沢はイサザに対してつっかかるような態度を取るが、徐々に仲良くなっていく。
しかし時間が経つにつれ、沢の家の土地事情に変化が。イサザとの繋がりにも影が見え始める。
その後…は詳しくは書けないので読んでもらうとして、少年の成長と友情が垣間見える素敵な話だと思う。

こちらは『天辺の糸』という物語。
思い合っていた男女、家督の清志朗とその家で子守役として働く吹。ある日2人が河原を歩いていると、吹が突然空中の何かを掴む仕草をした。その瞬間、吹は空へ飛んでいってしまい、そして姿を消した。
どこを探しても見つからない吹。そのうち周囲から逃げたんだという扱いになり、清志朗は別の女の人を雇ってしまった。
しかし吹は生きていた。そしてギンコの助けを借りて、清志朗のいる家へ戻ったのだった。

この話は恋愛物語である。そこに蟲の存在が絡んで、ちょっと不思議な空気感が漂ってはいるが、本筋は純でラブなストーリー。最終的にはほっとしてしまう。

今度はこれ。『鏡が淵』という話。
とある家の娘、真澄が池を覗いた時に「水鏡」という蟲に取り憑かれるという内容。
「水鏡」は徐々に取り憑いた相手の姿へと成り代わり、取り憑かれた相手はそのうち実体のない存在になってしまうそうだ。怖い。
それをギンコがどう解決するか…という流れだが、私はこの話のオチが好き。

『蟲師』全編通して言えることだが、どの話にも何かしらの影がある。どこか薄暗くて、怖い。ある意味神秘的とも言える「蟲」という存在がいるから、だけではなくて、人間の闇のような部分も折々で垣間見える。後味の悪い話も多い。

『鏡が淵』もどこかそういう雰囲気をはらんではいる、が、しかし最後まで読んで欲しい。
なんだろう、笑ってしまう。

さて、上に挙げた3つの話だが、基本的には読み終えたあと気分の良いものを紹介させてもらった。さきほども書いたが、中には後味の悪いものもある。
そういう『蟲師』における物語の多面性こそに「蟲」というものが持つ力、というか、存在そのものの神秘性が感じられる。
人間に対して友好的な訳ではなく、しかし敵意がある訳でもなく。
そういう次元では計れない、奥行きのある世界。
「畏怖」という言葉で表現することが一番近いかもしれない。
触れてはいけない何かが、すぐそこにいるのだ。

ここで一気に、最初に書いた宿毛市の話に戻ろうと思う。
『蟲師』では話と話の間や巻末に、作者である漆原友紀が色々な地方の昔話を見聞きしている様子が描かれている。取材記のようなものだ。
『蟲師』自体を読んで、はっと気付く人もいるかもしれない。「この話、聞いたことがある」と。
どうやらそういう、日本各地に残る伝承を『蟲師』のストーリーの参考にしているようだ。

その伝承が『蟲師』で絵となり言葉となり、私たちにも分かる物語になる。
「なんとなく聞いたことのあるもの」が縁取られ、はっきりとした実体を持ったように見える。
私にとっての「宿毛市」の由来、当たり前のものに対しての「なぜそうなのか?」という疑問。
見えているようで見えていないもの。隣にいるのに、いるとは意識できていなかったもの。
いるようで、いないようで、いる。
『蟲師』を読んで覚えた私の感覚を共有したくて、冒頭に宿毛市の話を持ち出させてもらったのだ。

あなたの住む街にも、もしかしたら不思議な逸話があるのかもしれない。
そしてそこには「蟲」の存在があるのかもしれない。

蟲師/漆原友紀 講談社