大友克洋カバーデザイン、ニューウェーブ時代の旗手・白山宣之の遺作集『地上の記憶』が凄すぎる。

レビュー

地上の記憶
©白山宣之/双葉社

わたしは書店で働いている。

書店で本を陳列する時、大きく3つの手法で並べられる。「平積み」「面陳」「棚差し」の3つだ。

「平積み」は新刊だったり、お店のいわゆる売れ筋を展開することであり、言葉の通り平台に積み上げることを言う。
「面陳」は面を出して陳列することであり、平積みほど多くは売れるものではないが、お店で注目してほしい本を売る時に使う。
「棚差し」は棚に1~2冊差さっているもののことであり、店舗の色として残った本だ。平積みや面陳がお店の売上を支えているものだと言うならば、棚差しはお店の哲学を支えているものだと言えるだろう。
(これは私自身の考えであり、もちろんこういった考えが当てはまらないお店もある。)

今回紹介する『地上の記憶』を読んで、「ああ、これは、棚差しにしたい本だ」と思った。
例えば同じように「棚差しにしたい本」で私は『LOVE MY LIFE 』(やまじえびね/祥伝社)や『さよならもいわずに』(上野顕太郎/KADOKAWA)などを挙げたい。

マスの世界で売れるものではないけれど、この世界観に必ず救われる人がいるだろうと思う、長く売り続けたいと思う本だ。

情緒が凄い。「小津技法を完璧にこなしている」と言われた作品。

白山 宣之先生は2012年に亡くなった。『地上の記憶』は、白山先生の死後に出版された作品集である。ゆえに彼と交友関係にあった漫画家たちのメッセージが作品作品の合間に載っており、それを読むだけでも白山先生の作品の凄さを知ることができる。

一番始めに載っている「陽子のいる風景」について、山本おさむ氏は言う。「構図からカット割りまで小津技法を完璧にこなしている」と。白山先生は大の映画好きだったと言う。大友克洋氏のメッセージでは「漫画の話をした記憶はほとんどなくて、大抵は映画の話、小説や落語の話を肴に酒を呑んでいました」とある。

これは「陽子のいる風景」のワンカット。

なんて自然な日常だろう。”陽子”がだれとか、どんな家族構成でどこに勤めているかとか、そんな説明めいた語りは入らないのに日常を映し出すことで彼女の生活が浮き彫りになる。日常を丁寧に書き上げることで変化が生じたときにその変化をより際立たせてくれる。
そしてこの映画のワンシーンみたいなコマ割り。自動ドアが開く様子や周りの人々(エキストラ)が歩く様子を書き込むことで時間が流れているところを演出している。

これは2作目「ちひろ」のワンシーン。

ちひろの父は亡くなっている(という描写が前にある)。「父さん」という声がする方に振り向くちひろ。父の居る家族を見つめる姿。セリフがなくてもどういう気持ちなのか、情緒的に読ませてくれる。こういった描写の数々が心に沁み渡る。

ドラマティックな展開はなくても、動き一つ一つに揺れ動く感情があるから丁寧に読んでしまう。それは彼らが本当に生きている人たちだと勘違いしてしまうほどリアルだ。

漫画家も羨む自由自在な線。

故・谷口ジロー氏は今作のメッセージの中で「白山さんの作品世界は冒険ものから日常のドラマまで実に幅広く、その線はほとんど自由自在に思えた。」と言った。また山本おさむ氏は「こうして短編集としてまとまってみると、読者はその多様な面白さと彼の力量に驚かれるだろう」と言う。

その通りだと思った。

私が特に驚いたのは「Picnic」だ。
タイトルロゴとイラストもかっこよすぎるのだけれど、それだけでない。

これだけ欧風めいた扉絵なのにめくってみると

まさかの時代劇である。
しかも内容は戦国時代に戦(これは「関ヶ原の戦い」)を見物していた農民の話である。戦を見ながらレジャーシートらしきものを敷いたり、お弁当を食べたりする姿はたしかにピクニックだ。

なんて遊び心あふれる作品だろうと思った。わざわざ説明をするわけでなく、読者に物語を読ませるのが巧みだ。

「Tropico」は南国舞台の冒険漫画。船乗りがひょんなことからギャングに殺されそうになるドタバタの逃走劇だ。

扉絵がいつもカッコイイ。

ギャング達から逃げるシーンは手に汗握るシーンの数々だ。このように国も時代も軽々と飛び越えてしまう。まさに「自由自在」だ。描きたいと思ったものを、描いてしまう。ああ、なんて羨ましいことだろう。

白山先生は1952年生まれ。1974年、「ガロ」でデビューし、「漫画奇想天外」など青年誌で短編集を発表していたが単行本では『少年塔』(1997年)と『10月のプラネタリウム』(1997年)のみという寡作な漫画家であった。少年漫画・少女漫画・劇画のジェンダーやジャンルの垣根を越え新しい手法を取り入れていったニューウェーブ時代の漫画家である。

私は平成生まれであり、彼の作品にはリアルタイムで触れていない。
だがこのように遺された作品の数々はむしろ新しく新鮮で胸を打たれることもある。「本は出会ったときが新刊だ」と言われることがあるが、まったくその通りだ。
この凄い作品があったことを、一人でも多くの人に知ってほしいと思う。

地上の記憶/白山宣之 双葉社