生まれた場所や家族によって、私の“幸せ”は決まるのか?『死にたがりと雲雀』

レビュー

昔、上司に毎日のように怒鳴られなじられ、死にたくなりながらも職場に通う日々があった。いま思えば完全なるパワハラだったが、その環境にいるとなかなか気付かなかったりする。結果的に隠れてやっていた副業先の企業から「これくらいのお金を出すからフリーランスになってはどうか」という提案をされたことで、私はその職場で耐え続ける以外の選択肢を考えることができた。あのときの「ここから抜け出せるのか」という希望に満ちた喜びは、今も忘れない。

死にたがりと雲雀
©山中ヒコ/講談社
 
これは私の人生におけるひとつの出来事ではあるが、自分がおかれた環境の劣悪さに苦しみながらも、そこから抜け出せずにいる人は、この世の中には多いのではないか。ブラック企業はもちろん、生まれ育った家庭環境や通っている学校など、様々なところで閉塞感を抱いている人々はいるだろう。
 
時代は大きく遡るが、山中ヒコの描く『死にたがりと雲雀』は、生まれた場所、育ててきた両親、および連なる家系、期待される(もしくは規定される)未来、そういったものにがんじがらめになりながらも、それとは別に「自らの幸せ」を見出していく人々が描かれている作品だ。
 

「盗人の子ども」は「盗人の子ども」でしかなのか?

 

 
物語は、江戸時代の下町を舞台に始まる。タイトルの「死にたがり」とは、登場人物である浪人の朽木を指す。彼はたとえ相手が犬だとしても、命の危機に面していれば体をはって助けにいくような優しい男だ。しかし、その命知らずの姿は、どこか投げやりで、死にたがっているような雰囲気さえ感じる。周囲の人の信頼は厚いが、誰も彼の過去を知らない。何かに執着したり、感情を表に出したり、そんな人間くさい一面が一切ない不思議な男だった。
 
そんな朽木が、ある日を境に、どこか人間らしい様子を見せるようになる。それは、押し込み強盗をして島流しになった子、雲雀(ひばり)との出会いだった。
 
朽木の寺子屋に通っていた彼女は、一度は朽木を裏切った。父親の過ちを知り、朽木に罪を被せようとしたのだった。しかし、朽木はそれを知りながらも、罪がばれて父親が取り押さえられる際に川に落ちた彼女を助けに飛び込んだ。
 
ひどいことをした相手に優しくされる。耐えきれず雲雀はこう叫ぶのだった。
 

 雲雀「盗っ人の子は盗っ人だ…!!!」︎

一巻、 p.64より引用

 

 
泣きながら自暴自棄になる雲雀を抱き寄せながら、「大事な私の寺子だ」という朽木。すがる場所がわからずに涙を流す彼女に、朽木もまた涙を見せるのだった。
 
彼女は、父親の過ちにより「盗っ人の子」になってしまった。しかし同時に、朽木との出会いによって、「寺子」という立場も得ることができた。その後、「盗っ人の子」として白い目で見る大人たちも多く現れるが、彼女はどこにも養子にはいかず「寺子」として新たな人生を生きていくことを選択するのであった。
 

血筋に翻弄される人々……そこから抜け出すのに必要なのは「勇気」だけじゃない

 

 
生まれや育ち、両親の過ち、そういったものによって苦しむ子は、雲雀だけではない。時代設定によるところも大きいが、この物語に出てくる登場人物たちの多くは自らの置かれた環境に閉塞感を抱いたり、自分の先に続く未来に希望が描けなかったり、過去のトラウマにがんじがらめになって身動きができなかったり、と不自由な心を持て余している。
 
物語の鍵ともなる、朽木の過去。彼には、とある一人の友人がいた。
 
その友人とは、町奉行所の同心である細身家の長男、細目一之新である。彼は明るい髪が目立つ不義の子であり、祖母に災厄扱いをされ軟禁状態にあった。あるとき、朽木はそんな一之新を連れて遊びに出向く。
 
一之新は、明るく優しい遊女と出会い、話しているうちに、あたたかい希望が心に広がっていくのを感じた。
 
幼いころから不義の子としての扱いに心を痛めてきた彼は、だからこそ強くなって細目家の長男として立派に継ごうと考えていた。しかし、そんな彼を、祖母は災厄として部屋に閉じ込め、代わりに弟に未来を託そうとする。細目家を継ぐ未来しか見えていなかった一之新は絶望する。
 
しかし、夢物語ではあるものの、遊女と結婚して共に生活をおくることなどを話していくうちに、一之新は自分の中に新しい選択肢が増えていく感覚を覚え、驚くほど気持ちが救われるのである。
 

 
インターネットのないこの時代。家も故郷も捨てて、新たな未来を思い描くには、きっと大きな勇気がいるだろう、というよりは、そもそもその「勇気をもって新たな世界に飛び込むこと」すら思いつかない可能性だってある。
 
子は、生まれる場所を選べない。ある程度の歳になるまでは、その無力さゆえに、自分がどこで生きていくかも選べない。そしてある程度の歳になる頃までには、周囲の環境によって、考え方も大きく影響を受けている。そこに風穴をあけるような、新しい世界を見せてくれるような存在が現れない限り、いま自分いる世界から抜け出そうと思うことなんて、そもそも発想することすら難しいのではないだろうか。
 
雲雀は朽木と出会ったことで、「寺子」という選択肢が生まれ、一之新は遊女と出会うことで「漁師としての未来」を思い描くことができ、閉塞感のある現状から抜け出そうと思うことができた。
 
時代ものとなると、どうしても読者を選んでしまうところがあるかもしれない。しかし、ここに描かれている人々の勇気は普遍的なものだ。今、自分がおかれた環境に苦しむ彼らは、ときに場所を変えながら、自分の幸せを追い求める。
 
そしてそこにはいつも、自分では思い描けなかったような世界を見せてくれる存在との「出会い」がある。「自分の生きたいところで生きていいんだよ」と言ってくれる存在は偉大だ。もしいま自分のいる環境に閉塞感を感じている人がいたならば、この作品がそういった風穴をあける出会いとなるといい。
 
 
死にたがりと雲雀/山中ヒコ 講談社