どん底で苦しむあなたに寄り添う唯一の漫画『最強伝説黒沢』

レビュー

失意のどん底にいる人に寄り添ってくれる漫画とは、どんな漫画だろう。仕事がつらい時にはビジネス漫画を読んで自分を鼓舞する?恋人にフラれた時には恋愛漫画を読んで次の素敵な恋を夢見る?

素敵な漫画の世界に没頭できたとしてもページから顔を上げた時に待っているのはつらい現実。漫画の中で描かれる苦しみにはテンポ良い起承転結が用意されているが、現実の苦しみは冗長で、劇的な展開が見込める保証もない。

素敵な漫画を読んで「現実はそんなにうまくいかねーよ……。」と思うくらいに落ち込んでいる時、ちょうど良い距離感で手を差し伸べてくれる漫画が今回紹介する『最強伝説黒沢』だ。

持たざる者黒沢が渇望するもの

最強伝説黒沢
©福本伸行

主人公黒沢は44歳独身男性。高校を卒業してから26年間もくもくと建設会社で働いてきた。金がない、出世もない、妻も子もない、友もない、夢も目標もない。あるのは腹についた肉と孤独だけ。

食うには困らない。仕事を続ければ生きて行ける。仕事終わりにひとり居酒屋で好きなだけビールを飲むことだってできる。しかし、ある日黒沢は気づく。


自分の人生にあまりにも劇的な展開がないことに。自分だけの感動がないことに。

さらに黒沢は自分がもう孤独に耐えられないことにも気づいてしまう。

家庭を持つ同期たちは薄給に耐えられず辞めてゆき、職場に残る40代は独り身の黒沢だけ。プライドが捨てられず若者にすり寄っていくこともできない黒沢は独りきりだ。

気づいてしまったが最後。もう今日までのような「生きて行く」だけの日常を送ることに耐えがたくなった黒沢は、とうとう自分の願望に向き合う。

黒沢が渇望する「人望」が欲しくない人間なんかいるだろうか?我々は承認欲求の塊だ。愛されたい、認められたい、気にかけられたい。今ひとりで抱えている悩みだって人望があればきっと和らぐだろう。誰もが抱えるそんな生々しい欲求を黒沢はむき出しにする。

かなりかい摘まんだが、なんとここまでが1巻第1話、さらに言えば試し読みで読める範囲の序盤である。たった1話の中で自分の人生のあり方に気づき、孤独を自覚し、決意する黒沢。この作品の濃さが分かっていただけるだろうか?

第1話で黒沢に共感できない人には、きっと他の漫画が手を差し伸べてくれるはずだ。つまり、まだ大丈夫な人である。第1話で強烈な共感を覚えてしまった人はぜひ読み進め、黒沢と一緒にもがいて欲しい。

動き出す黒沢の人生

第1話で黒沢の人生の目標が定まった。「人望を得ること」。シンプルだが難しいことだ。黒沢は職場の人望を獲得しようと様々な方法で足掻く。


買収


空回り


孤独

人並み程度にちょっと気にかけてほしいだけなのに、うまくいかない。人望が得られないどころか、誤解され嫌われてしまう。黒沢は悩み苦しむ私たちを置き去りにして漫画らしくトントン拍子に成功したりしないのだ。読者も不安になるほどに不器用な黒沢は、一進一退しながらも信頼を積み重ねていく。

そしてとうとう職場の仲間達と打ち解け、最高の1日だと黒沢が感じたある日、生活は一転する。

ちょっとした因縁により、不良中学生との抗争が勃発。この抗争は辺りを巻き込み拡大し、最終的には黒沢&ホームレスVS不良中学生という構図に。

もうワールドカップを見て偽りの感動に身を委ねていた黒沢とは違う。気づき、獲得し、新しい人生を歩み始めた黒沢はどのように戦いに身を投じるのか。

黒沢は私たちを突き放さない

作品内での黒沢の成長は現実的ではないといえるほどに目覚ましい。物語序盤では典型的なダメなやつだが、人望を得たあたりからはもはや一人の革命家であり哲学者だ。漫画の主人公にふさわしい人物になっている。

しかし、黒沢は絶望の淵に立たされ、自らをクズだと信じて疑わない読者を突き放したりはしない。黒沢を成長させたのは、偶然の幸運や物語上の都合ではなく、誰もが心の奥底に持つ勇気や人を助けたいと思う気持ちだからだ。

あまりに最悪な状況に置かれ、気分が落ち込んでどんな物語も受け付けなくなってしまった時には、黒沢のことを思い出して欲しい。自分が何を欲し、そのために何を行うべきか、と黒沢と同じように考えることができたら、少しでも状況は変わるかもしれないのだから。

最強伝説黒沢/福本伸行