「自由」をつかんだはずの中年漫画家が抱える孤独感。『零落』

レビュー

あなたは、漫画家という職業に憧れることがないだろうか。

絵を描いているだけでお金をもらえる。毎日満員電車に詰まって会社に行かなくてもいい。好きな時間に仕事ができる。理不尽な上司もいない。

漫画家に限らず、アーティストやミュージシャンといった「フリーランス」で働く人に、憧れをいだく方は多いのではないか。
私もそのひとりだ。

しかし、『零落』を読んでしまうと、漫画家に対する認識がかなり変わる。自由に仕事をすることで払う代償は、大きい。

零落
©浅野いにお/小学館

『零落』は、『ソラニン』『おやすみプンプン』といった数々のヒット作を生み出した人気漫画家、浅野いにお先生の作品である。

浅野いにお先生の実体験を元に作られたお話で、コメディーの類が一切ない。本作は明るい話ではないので、読むのに少し、覚悟が必要だ。

希薄な人間関係

主人公は、深澤薫という「そこそこ売れている」中年漫画家だ。
彼が8年続けてきた、漫画の連載が終わるところから、物語は始まる。

がむしゃらに漫画とだけ向きあってきた深澤は、連載が終わったことで、つかぬ間の自由な時間を手に入れる。
しかし、仕事からはなれた彼に待ち受けていたのは、希薄な人間関係と、孤独感だった。

深澤の抱える数人のアシスタントとは、あくまで仕事上の付き合いだ。彼の妻は、売れっ子漫画家の担当編集で、なかなか会うことができない。深澤の担当編集は、あまり打ち合わせに時間を割いてくれない。

寂しさをつのらせた彼が頼ったのは、デリヘルだった。

デリヘル嬢たちは、お金で買ってもらった時間の分だけ、深澤と話をしてくれたり、セックスで慰めたりしてくれる。彼は、彼女らに癒しを求めていた。

ある日、彼はいつものようにデリヘルを呼んだ。すると、ホテルに現れたのは、「ちふゆ」という美少女だった。

人気デリヘル嬢・ちふゆとの出会い

『つまらないのよ。私の周りのみんなは、ただ流行りを追いかけているばかりで』
『もっと好きなように生きられたらいいのにね。私はいつも不自由』

ちふゆは、社会をどこか達観視した、変わった女の子だ。深澤とも話があう。また、彼女は、彼が昔付き合っていた恋人に、雰囲気がよく似ていたのだ。

深澤はちふゆを気に入り、頻繁に呼ぶようになる。

ある日、深澤は、ちふゆが店を辞めるという話を耳にいれる。彼女いわく、大学の夏休みの間だけ、地方にある実家に帰るのだという。
一緒について行っていいか、と彼が尋ねると、彼女はあっさりOKと返す。

ふたりは連絡先を交換し、後日、出かけることになるのだが……。

「漫画愛」を失った漫画家

深澤は、かなりドライな性格をしている。他人に厳しく、皮肉屋で、プライドが高い。

深澤のファンだという後輩漫画家の作品を、「くだらない薄っぺらい漫画」とけなしたり、彼のサイン会を企画した書店員さんの前で「この作品は馬鹿でも泣けるように描きました」と発言をしたりする。

そして深澤は、漫画を嫌っている。
彼は若い頃、自由な生活に憧れて、上京し、がむしゃらに漫画家を目指した。漫画に生活の全てを捧げた彼は、まわりの人々をないがしろにしながら生きてきてしまったのだ。

連載が終わってやっと手に入れた彼の自由は、ひとりぼっちでむなしいものだった。

自由は手段であって、目的であってはならないのだ

作中で深澤は、こう語っている。

『自由は手段であって、目的であってはならないのだ』

もしかすると深澤は、自分の人生を後悔しているのかもしれない。自由というのは本来、孤独になるということなのだ。深澤は、ひとりぼっちになることを望んだようには、どうしても見えない。

漫画家に限らず、ミュージシャンでもスポーツ選手でも、夢を追いかける人々は、「己との戦いだ」と口にする。もしかすると、「己との戦い」というのは、「孤独感との戦い」なのかもしれない。

私事だが、私は絵で食べていくことを目標にしている。なので、この漫画を読むと、「もしかしたらこのまま絵の道に進んだら、深澤のようになるのかもしれない」と考えてしまい、正直恐ろしくなる。

あなたは『零落』を読んで、何を思うだろうか。

零落/浅野いにお 小学館