笑いと悲哀の振れ幅がエグすぎる。『少年アシベ』だけじゃない、森下裕美作品まとめ

まとめ

ある日、道を歩いていたら、トラックの荷台からゴマフアザラシの赤ちゃんが落ちてきた。少年は家に持って帰り、その日から一緒に家族として暮らすことに。

『少年アシベ』は、可愛いゴマちゃんが印象的だからかついほのぼのとしたギャグ漫画だと思ってしまうが、一度でも読んだことがある人ならそうではないと分かるはずだ。

アシベを始めとした恵まれた少年たちの日常とは一方的に、いつも惨めな目にあうブサイクな社員や、アシベのことが大好きなのに親の度重なる国外転勤によって離れることを余儀なくされるスガオ君など、意外と「かわいそうな人たち」もしっかりと描かれていて、不条理なオチも多くある。ついつい笑ってしまうのは、そこに悲壮感のないギャグ漫画だからだが、あまりに淡々と描かれているのは冷静になると、ちょっと恐ろしい(それも魅力なのだが)。

今回は、理不尽な目にあう「かわいそうな人たち」を巧みに描いた森下裕美作品を3作品まとめて紹介する。

自分はレズビアンかもしれないと悩む婚約者が、行き着く答えは……『夜、海へ還るバス』

夜、海へ還るバス
©森下裕美/双葉社

森下裕美作品に特徴的なのが、女性同士の恋愛が頻繁に描かれるところだ。この『夜、海へ還るバス』は、まさに象徴的な作品で、主人公が「女性とセックスする夢ばかり見る」という理由から自分がレズビアンかもしれないと悩むところから物語が始まる。

彼女は婚約直前で、予定どおりなら、そのまま真っ直ぐ結婚をするはずだった。しかし、彼女は自分が男性とセックスをする夢は見たことがないのに、女性とセックスをする夢ばかり見ることに対して、ずっとモヤモヤとした気持ちを抱いてきていたのだ。この気持ちのままじゃ結婚することができない、と、彼女は婚約者に「婚約破棄」か「女性との浮気」のいずれかを許してもらうように懇願する。婚約者は困惑し悩みながらも、後者を選択。かくして、彼女の女性の恋人探しがスタートするのだった。

物語の起点こそ「レズビアン」という性愛のひとつではあるが、それが作品の本質ではない。また、これは他の作品にも通じるところではあるのだが、「女性が女性を好きなこと」をそこまで特別なこととして描いていないのも面白い。彼女がレズビアンかもしれないと婚約者に告げたときも、婚約者はまず、レズビアンであることに引くことよりも、自分のことを愛してくれているのかどうか、が気になって仕方ない様子だった。

また、自分の心の底にあるものを探すため行動を始めた彼女は、レズビアンの友人ができたり、同じマンションに住む主婦と関係性をもつようになる。そして、主人公はそこで、彼女たちには彼女たちなりの孤独があることを知り、また次第に、自分のことを「縛っていた呪い」へと近づいていく。彼女たちはみな、自分たちの孤独を、自分たちの意思でどうにかしようとあがいていく。

“等身大の優しさ”こそ人間の持ちうる美徳じゃないか『大阪ハムレット』

大阪ハムレット
©森下裕美/双葉社

全5巻、基本的には一話完結の短編集である当作品。大阪に住む様々な人々の、悲喜こもごもとした生活を描く。そこには、女の子になりたいとクラスメイトの前で宣言する男の子もいれば、子宮を摘出して子供を産めなくなった苦しみから離婚を迫る嫁、いじめられるたびにいじめっ子がひどい目にあう小説を書く女の子、嫁に逃げられたクズの父親と祖父の家に転がり込んだ一人娘など、どの登場人物もみな理不尽な目にあっていたり、逃げることもままならない辛い現状に苦しんでいる。

しかし、この物語はタイトルに「ハムレット」と名前がついていながらも、単なる悲劇としては終わらない。『大阪ハムレット』は常にあたたかい笑いと寛容さをもちあわせていて、読後感が爽やかだ。

たとえば、学生時代にいじめられていた少女は、大人になっていじめっ子だった女性と再会する。当時はいじめられるたびにノートにいじめっ子がひどい目にあう小説を書いていて、その怒りをエネルギーにいつか作家になることを目指していたが、現実はままならない。社会人になった主人公は、そこで整体の仕事をしていた。そこに客として現れたのが、かつてのいじめっ子だったのだ。

普通なら、嫌な過去を思い出させる相手。当時のような強い怒りはなかったとしても、簡単には許すことができないだろうし、可能ならば会いたくないだろう。しかし彼女は、何事もなかったかのように再会を喜ぶ当時のいじめっ子に対して、同じように明るく接し、また、裏で歯をギリギリさせることもない。たしかに夜昔のことを思い出して涙を浮かべる瞬間はあるが、実にあっけらかんとしている。

それは自分だけがずっと被害者だったというわけではなく、自分自身も過去に大好きだった友達が辛い境遇に陥っていたときに、見て見ぬふりをして逃げてしまった、という罪悪感があったからだろう。自分ばかりがかわいそう、という思想の持ち主が出てこないのもこの短編集の特徴といえるかもしれない。みんながみんな、ちょっとずつ自分の苦しみに自覚的でありながら、できる範囲で相手にも優しくあろうとする。

生まれや育ちではなく、その人の品格こそが美しい。『トモちゃんはすごいブス』

トモちゃんはすごいブス
©森下裕美/双葉社

代表作である『少年アシベ』や『ここだけのふたり!』もそうだが、森下裕美の作品は美人とブサイクの差が顔だけではなく頭身からまるで違う場合が多く、小顔の美女と二頭身のちんちくりんが並んで歩く姿というのが度々見られる。また、その醜い容姿ゆえいじめられたり、惨めな思いをする場面が多かったりと、なかなか世知辛い表現が散見されるのも特徴だ。

そんな中『トモちゃんはすごいブス』では、そんなブサイクなキャラクターがむしろヒーロー的な役割として描かれた作品。

父親を亡くしたことで、天涯孤独になってしまった、大阪で暮らす20歳の女性、河口チコ。13歳から不登校でひきこもり状態であるチコは、世間知らずで生きる気力も特にない。葬儀の後、財産を隣人に無心されたことで、すべて渡してもう死んでしまってもいいなと思っていた日の翌朝、彼女のもとに身元不明の見知らぬ女性が現れる。

トモちゃんと名乗るその女性は、チコの父親とは携帯のサイトで知り合い、友達のいないチコのためにうちに来てほしい、と父親にお願いされたのだという。その日から、トモちゃんはチコの社会復帰のために世話を焼くようになるのだった。

世間知らずで無防備だが容姿の美しいチコは、水商売や性風俗の仕事から少しずつ社会へと足を踏み入れていくことになる。

タイトル通り、トモちゃんはすごいブスだ。ブスゆえに、チコと一緒に同じ仕事をしても別の目立たないような役割を任されたりする。しかし、彼女はそこにあまり執着しない。ただひたすら、チコのことを第一に考える姿は、まるで母親のようでもある。

二人は、性風俗の仕事を紹介するボランティアをする18歳の車谷祥吾を始め、次第に交友関係を広めていく。そして、そこに登場する人々は、やはりみんな誰にも埋められない孤独を抱えて生きているのだった。

それは、トモちゃんも同様である。なかなか明かされないトモちゃんの素性も含めて、この作品は、辛い過去をもちながらも懸命に生きることを諦めない人々の姿が描かれている。

『夜、海へ還るバス』も『大阪ハムレット』も『トモちゃんはすごいブス』も、登場人物の多くは境遇が恵まれていない人ばかりだ。ときに父親に捨てられ、ときに執拗ないじめを受け、ときに八つ当たりで殴られ。しかし、同時に、彼らはみな「許す」選択をし続ける。そこに勧善懲悪の思想はない。

みんな大変な思いをしていて、自分のことで精一杯なのだけど、それでも手をとりあって生きていこうとしている。どんなにひどい目にあっても生きることをやめない。それが、すごいこととして描かれているのではなく、至極当然のことのように描かれている。

月並みな表現になるが、人はみな、常に許し合いながら生きている、というのがこれらの作品を読んでいると強く感じられるのだ。

夜、海へ還るバス/森下裕美 双葉社
大阪ハムレット/森下裕美 双葉社
トモちゃんはすごいブス/森下裕美 双葉社