“子ども”が世界を変える。異色コメディ『アダムとイブの楽園追放されたけど…』

レビュー

特異な作家が手がけた、誰もが親しみやすいテーマ

好きな漫画家を追いかけていると、「おや?」と思うような“変化”に立ち会うことがある。
個性的な作品が多く掲載される「モーニング・ツー」(講談社)で発表された『夕方までに帰るよ』で2010年に鮮烈な連載デビューを飾った宮崎夏次系氏は、以降短編集や、長くても1巻で完結する物語を中心に、独特の世界観を繊細な筆致で描く作品を発表。
その他にはSF誌への寄稿やアート作品など、研ぎ澄まされた表現をさまざまなフィールドでぽつぽつと展開する作家というイメージだった。

そんなイメージに「おや?」をもたらしたのが、本作『アダムとイブの楽園追放されたけど…』だ。

アダムとイブの楽園追放されたけど…
©宮崎夏次系/講談社

『アダムとイブの楽園追放されたけど…』は、なんと(という感覚は、この作家の作品を読んできた人だけが抱くものであっただろうが)、子育てコメディである。
育児をテーマにした漫画や読み物を掲載するウェブサイト「ベビモフ」にて連載された作品だ。

描かれるのは、あの旧約聖書のアダムとイブと、その息子たちの一家。
キリスト教に馴染みの薄い日本人でも、名前と、その身に何が起こったのかは多くの人がなんとなく知っているであろう、あの家族だ。
サングラスをかけ、いつもダルそうにしているイブと、まめまめしく妻に尽くそうとするアダム。彼らのもとに生まれた赤ちゃんが長男・カイン。
定石通り、禁断の実を食べてしまった罪で楽園を追われたアダムとイブは、何がなんだかわからないまま、初めての子育てに挑む。

いろいろヘンだけどいろいろリアル? 世界一有名な夫婦の育児

この漫画はコメディなので、いろんなことがおかしい。
ふたりの前に現れる次男・アベルはなぜか阿部る(アベル)という名のマッチョな青年だったり、禁断の実を食べるようそそのかしたヘビはなぜか電動ハンディマッサージャーになってしまったり、神の使いである大天使ガブリエルはなぜかいつもモザイクまみれだったりする。

その一方で、「おかしくない」、「あるある」のように感じられるのが、イブとアダムが向き合う子育ての日々だ。

泣いている理由がわからない。母乳が出ない。離乳食を食べない。何もかも拒否する。
筆者には子どもがいないので、これらが本当に「あるある」なのかを判断することはできない。けれど、初めての子育てで我が子に何が起こっているのか、どう対処したらいいのかわからない、ましてもともと子どもが大好きで、子どもに無条件の全力の愛情でもって接することに慣れているわけではないイブの戸惑いは、リアルなものに感じられるし、実際に子育てを経験していない身には余計に生々しく想像できる。
それを解決するのは時だったり、なんてことはない対応ひとつだったり、そしてあるいはコメディ漫画らしく笑いだったりする。そんなところまで含めて、「ありそう」に感じられるのだ。

「わかりやすい」は進化の一つ。育児中の人も、そうでない人も

宮崎夏次系氏の漫画には、もともと「んっ!?」と思わされるような「笑い」の要素はいつも潜んでいた。
ただ、そこにある笑いはいつも、巨大な寂しさや、逆に巨大なあたたかさ、そういった激しい感情とともにあって、それらの要素をより引き立てたり、その緊張感をほぐしたりする役目を担っていた。
本作でのコメディ要素はそうした「役割」から解放され、ただシンプルに、「笑ってもらうための笑い」として存在しているように見える。
物語の結末など、端々に作者らしい「ままならないことへの焦燥感」などのヒリヒリする描写はもちろん見られるのだが、これまでの作品と比較すると、だいぶ口当たりが柔らかいものになっているのだ。

これが「子育て」という普遍性のある題材とともに、本作を、やや「尖った」作風を持つ印象のある作者の漫画をより幅広い層に届けるきっかけとなる作品にしている。
単行本1巻に収録されている読み切り「オカリちゃんちのお兄ちゃん」を含め、現時点で「一番わかりやすい宮崎夏次系」となる全2巻だと思う。
育児エッセイ漫画読者にも、「こういう漫画もある、こういう漫画家もいる」ことを知ってもらえたら、一ファンとして、一漫画読者としては嬉しい限りである。

アダムとイブの楽園追放されたけど…/宮崎夏次系 講談社