『ゴールデンカムイ』をより深く楽しむために知っておきたい3つのこと!!

レビュー

本当に面白いですよね。
ほら、あの、日露戦争後の北海道を舞台に、元陸軍兵士・「不死身の杉元」こと杉元佐一と、アイヌ民族の少女・アシリパが、アイヌ民族が遺した莫大な黄金をめぐって大冒険を繰り広げるエンタテイメント活劇。
そう。『ゴールデンカムイ』です。

ゴールデンカムイ
©野田サトル/集英社

黄金のありかをその体に入墨で刻まれた脱走兵たち、蝦夷共和国再建の夢を抱く老人・土方歳三とその一派、そして最強の北鎮部隊・第七師団の情報将校・鶴見中尉とその部下たち……。次々と現れるひとクセもふたクセもある強烈なキャラクターたちを相手に、杉元とアシリパの冒険は「週刊ヤングジャンプ」上で現在も続いています。アニメも第2期が2018年秋期に放送され大人気でした。
アニメを観て作品の魅力にとりつかれた方には朗報! 漫画本編にはアニメ化されていない名エピソードもありますので、ぜひ原作漫画をお読みください。
というわけで、今回は単行本も全部読んじゃった、新刊が待ちきれないという方に、ちょっと変わった楽しみ方をご提案したいと思います。

1.『ゴールデンカムイ』をより深く楽しむには、巻末の「参考文献リスト」を見るべし!

本作の魅力の一つはなんといっても「和製ウエスタン」……西部劇さながらの銃撃戦や、時代劇のようなチャンバラ、そして軍モノの魅力……などなど、アドレナリンをドバっと大量分泌させるような、バトル&アクションの数々。黄金を巡る宝探し、謎解きの面白さ。加えて空腹中枢を刺激する野趣あふれる狩猟・グルメ漫画しての側面もあります。
もう一つ。
漫画として楽しく読み進めながら、同時に作品の中に織り込まれたアイヌ民族の文化や思想などについて学べる「知識漫画」、知的好奇心をくすぐる面白さもあります。
この作品によって、アイヌ民族の文化や歴史を初めて知った方もいらっしゃるかと思います。エンタテインメント漫画でありながら、アイヌ文化の恰好の入門書にもなっているわけですね。
アイヌの文化や歴史を扱う漫画作品はこれまでもありましたが、その描写が不正確だったり、間違いが多い作品も少なくはありませんでした。
しかし、この作品の中で描かれるアイヌの文化や言葉などは、専門家の監修の元で描かれており、アイヌ文化の研究者や、アイヌの人々にも多くのファンがいるそうです。巻末の監修・協力・参考文献のリストが、巻を追うごとにどんどん増していっているのを見るとその調査の大変さの一端が伺えます。
この参考文献リスト、実は「アイヌ文化を知りたい人にオススメの本のリスト」でもあります。
絶版で入手困難なものもありますが、ネット古書店で入手したり、図書館を使うと、読めるものも少なくありません。
アイヌ文化についてもっと詳しく知りたくなった場合は、このリストの本の中から、面白そうだと感じたものを読んでみると、さらに『ゴールデンカムイ』の世界が深く楽しめること請け合いです。オススメです。

2.「アシリパさんにモデルはいるの?」

 アイヌの民族衣装に身を包み、北海道の原野を颯爽と駆け巡り、自然を敬い、それを利用して生きるアイヌ古来の知恵と技術を持つ少女。
本作の主人公の一人、アシリパさんです。
作品の舞台になった明治40年頃の北海道には、こんな凛々しく堂々とした少女が、本当にいて、
もし、タイムマシンがあれば、それに乗って私たちはリアル・アシリパさんに会えるのでしょうか?

おそらく……本当にタイムトラベルして、明治40年に降り立つことができれば、アシリパさんと同年代のアイヌの少女を見かけることができるかもしれません。しかし、その少女は、『ゴールデンカムイ』のアシリパさんのように、ビシッとかっこよくアイヌ衣装に身を包んでいたり、狩猟やサバイバルの技に長けていたり、ましてや北海道中を旅していたりはしないでしょう。

彼女たちは、学校に通っているかもしれませんし、
アイヌの衣服を着ていないかもしれません。アシリパさんのように、アイヌであることを誇りに思い、堂々としていないかもしれない。
明治時代、政府は北海道のアイヌの人々に対して「同化政策」を行いました。伝統的な漁猟や風習を禁じられ、学校では日本語を教えられ、アイヌ語を喋ることを禁じられました。
『ゴールデンカムイ』の舞台となった明治40年前後では、アシリパさんを含め、40歳くらいまでの若いアイヌは基本的には日本語で教育を受けていると考えられます。(もちろん、学校に行けなかったアイヌもいたでしょう)。彼らは家庭内ではアイヌ文化に囲まれてアイヌ語を喋り、外では日本語を喋るというバイリンガル生活をしていたわけですね。
でも、その「同化政策」が、アイヌ語やアイヌ文化の伝承を難しくさせてしまいました。『ゴールデンカムイ』の中ではあまり露骨に描かれませんが、当時のアイヌの人々は和人による激しい差別と好奇の目に、絶え間なく晒され、民族の誇りを失ってしまう者も少なくなかったのです。
 アシリパさんのように、ひと目でアイヌ民族であることがわかる恰好で町を歩くことは、とても勇気がいることだったでしょう。その中で、彼女は「あえて」アイヌの衣服を着て、アイヌ民族であるということを隠さないという選択を決断しているのです。

 ここに、実在したあるアイヌの少女の言葉があります。
アシリパより10歳くらい年下で、『ゴールデンカムイ』の時代だと2歳くらいでしょうが、明治38年生まれのアイヌの少女・知里幸恵(ちり・ゆきえ)が書き残した文章です。

 その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児のように、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、何と云う幸福な人だちであったでしょう。
 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山また山をふみ越えて熊を狩り、
夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁(すなど)り、
花咲く春は軟かな陽の光をあびて永久に囀(さえ)づる小鳥と共に歌い暮して 蕗とり蓬 摘み、
紅葉の秋は野分に穂揃う すすきをわけて、宵まで鮭とる篝(かがり)も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円(まど)かな月に夢を結ぶ。
嗚呼なんという楽しい生活でしょう。平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第次第に開けてゆく。
 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて 野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方もまた何処(いずこ)。
わずかに残る私達同族は、進みゆく世のさまに ただ驚きの眼をみはるばかり。
しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて、
不安に充(み)ち不平に燃え、鈍りくらんで行方も行方も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、
おお亡びゆくもの………それは今の私たちの名、何という悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。

知里幸恵『アイヌ神謡集』「序文」より引用
※適宜、文字開き、改行、空白を補う

前半では、まるで『ゴールデンカムイ』のアシリパさんのように、自然と共に生き、大地を駆け回ったアイヌの姿が描かれている一方、後半では、「今は昔、夢破れて幾十年」……そのようにアイヌが大自然に抱かれていた時代はすでに失われて久しい、過去のものだと言っているのです。

知里幸恵は『アイヌ神謡集』というユカラ(神々の叙事詩)の本を一冊残して19歳で亡くなったアイヌの少女です。日本語とアイヌ語のバイリンガルで、先祖から伝わる多くの物語を憶えていた彼女は、民族の神話や伝説を、日本語と、ローマ字で表記したアイヌ語のふたつの言語で記しました。
上の文章は、その『アイヌ神謡集』の序文として大正11年に書かれたものです。

 この本は、『ゴールデンカムイ』の巻末の参考資料に入っています。アシリパに特定のモデルはいないかもしれませんが、筆者はそのキャラクターの中に、この知里幸恵のイメージがいくらかは投影されていると思っています。ただ、それは現実の彼女自身のイメージではなく、彼女の書き残した書物の中の理想的なアイヌのイメージ、北海道にまだ和人が入ってくる前の過去のアイヌの理想郷としての北海道(アイヌモシリ)の姿なのかもしれません。
現実のアシリパたちの置かれていた状況、生きた世界を知りたい方は、ぜひ知里幸恵の『アイヌ神謡集』をお読みください。(「青空文庫」でも読めます)。

3.「アシリパさんのコタン(アイヌの「集落」または「村落」)って実在するの?」

「アシリパさんのアイヌコタンに行きたい! 聖地巡礼したい!」
という方もいらっしゃるかもしれません。
 作品の設定の上では、アシリパさんは小樽の近くの架空のコタンの出身、ということになっています。
 もちろん、小樽の近辺にもアイヌコタンは存在したのですが、文化や伝承などの記録はほとんど残っていないのです。
 というのも、小樽や余市のような日本海側の地域は、明治以前から「ニシン漁」という巨大な産業に巻き込まれ、早い段階から多くの和人が流入しました。そこに住むアイヌたちは、彼らによって生活の場を追われたり、生きる手段を奪われたりして、コタンとして残らなかったのです。
 たとえば、「小樽」という地名は、「オタルナイ」(アイヌ語で砂浜の中の川の意)に由来しますが、現在の小樽市街ではなく、もともとは札幌市と小樽市の中間あたり、小樽市銭函付近にあった地名で、ここにもアイヌコタンがありました。「アイヌの歌人」として知られる違星北斗(いぼし・ほくと)の祖先は、昔シャチの神を怒らせてしまい、オタルナイから余市に移り住んだという伝承があったり、有名なアイヌの古老・天川恵三郎の出身がこのオタルナイコタンでしたが、明治の始めに行政によって強制移住させられたといった記録があります。その後、廃村になり、現在はその名前を記した石碑が原野に立つのみだということです。
 もしかして、このオタルナイがアシリパさんのコタンだったのでしょうか?
残念ながら、アシリパのコタンは山のコタンですが、このオタルナイのコタンは海の近くですし、小樽市街にもそれほど近くないので、おそらく違うでしょう。
実は、アシリパのコタンについて、作者の野田先生は、ブログで「アシリパさんの村は小樽近辺」「このあたりにアイヌがいたのはわかってますが、どんな生活をしていたのか資料がほぼのこされていないのだそうで、逆を言うならアシリパさんのアイヌ知識はなんでもありってことだ。地域差を気にせずに、いろんなアイヌネタを出せるんですね」と言われています。
「野田サトルのブログ」2016年3月23日

 そうなんです。
アシリパさんのコタンのアイヌ文化は、実際の小樽のアイヌの文化を忠実に再現したものではなく、伝承や史料が残っている平取や、旭川や釧路など、北海道各地のアイヌ文化を元に作者が再構成したものなのですね。
本来なら、アイヌ文化にも地域によって差異があり、アイヌ語にも方言がありました。もし資料が残っていたとすれば、アシリパさんのアイヌ文化やアイヌ語は少し違ったものに、たとえば、近隣の余市アイヌの文化や言語にある程度近いものになっていたのかもしれません。
ほとんど記録を残すことなく、夢のように消えてしまった現実の小樽のアイヌコタン。
失われてしまったからこそ、アシリパさんのコタンは、ある意味では理想化したコタンを描くことができたというのは、なんとも皮肉といえるかもしれませんね。

 最後に、『ゴールデンカムイ』を読んで、アイヌコタンをより体験したい、学びたいという方に、オススメの情報をいくつか。

アイヌの神話・伝説や昔話を知りたい方は、まずは先の知里幸恵さんの『アイヌ神謡集』や、、萱野茂さんの『炎の馬』『ひとつぶのサッチポロ』等、山本多助さんの『アイヌ・ラッ・クル伝』といったアイヌ語・日本語バイリンガルのアイヌ文化の伝承者が、子どもにもわかるようにやさしい日本語で語り直した昔話の本をオススメします。
アイヌ料理に関しては実際に食べられるお店があります。東京の「ハルコロ」や阿寒の「ポロンノ」、大阪の「ケラピリカ」など。
ちなみに『ゴールデンカムイ』ブームに乗っかって、最近「アイヌ料理」と称するものを出し始めたようなチェーン店もあるようですので、こちらも要注意。

 ということで、『ゴールデンカムイ』をより深く知りたい人にオススメの情報などをお伝えしました。
アイヌ文化というのは、少数のアイヌの人々が長年大事に伝えてきたものであり、彼らのかけがえのない宝物です。
そして「日本人がアイヌの人々を同化政策によって滅亡させようとした」という歴史があるということも忘れてはいけないことだと思います。
『ゴールデンカムイ』は、アイヌの人々の文化や思想に最大限の敬意を払い、細心の注意を払って、しっかり配慮して作られています。
アイヌの人々が長い年月に渡り苦労して大事に守り伝えてきたアイヌの文化を、今漫画を読んでそれを知ったばかりの者が好き放題にもてあそんだり、間違ったことをいい加減に広めたり、あるいは多数者の「数の力」で彼らの手からアイヌ文化を取り上げてしまったりすることは、決してあってはならないでしょう。
それは彼らの尊厳を踏みにじる行為であるだけでなく、かつてと同様に、少数者である彼らが伝え守ってきた大切な文化を、多数者の巨大な数の力で彼らの手から奪い去ろうとすることにほかならないからです。
私たち『ゴールデンカムイ』のファンは、作者が作品に込めたアイヌ文化への《敬意》をきちんと引き継ぎ、その文化をこれまで守り伝えてきた人々が、今後も未来に向けて伝え続けていくのを、出しゃばったり、邪魔したりすることにならないように、お手伝いすることが大事なのだと思います。

ゴールデンカムイ/野田サトル 集英社