「世の中には本当に死んだ方がいい人間がいる」。古谷実が描く衝撃作『ヒミズ』の絶望と希望について

レビュー

今まで読んできた沢山の漫画の中で、特に好きなセリフがある。

「まるでオレの人生の目標は長生きみてーだ」

古谷実さんの漫画『ヒミズ』の主人公、住田の言葉だ。

もう数年前だったけれど、このセリフを読んだとき、「ああ、別に私、長生きするために生きてるわけじゃないんだよな」と心がフワッと軽くなったのをよく覚えている。
住田のあの言葉はきっと、過酷な人生を必死に生きようとする彼の心の奥底からでてきたものなんだと思う。

今回は、私が大好きな漫画『ヒミズ』について紹介したい。

夢は「平凡に生きること」

ヒミズ
©古谷実/講談社

住田(すみだ )は、「平凡に生きること」を夢見る中学3年生。

彼には、それ以外には何も希望がなかった。

貸しボート屋を営んでいる母と2人暮らし。家には頻繁に母の恋人が出入りし、ときには実の父親が金の無心のために来ていた。家に風呂はなく、入浴は週に3回銭湯で済ませている。

不遇な環境に育った住田は、友人や周囲の人間に対してきわめて冷徹に振る舞っている。

「ほとんどの人間は超極端な幸不幸にあう事なく一生を終える」
「金さえあればお前の魂なんてよゆーで買えるね。もちろんお前の両親のだってたやすく買える」

という言葉から伺えるとおり、彼は15歳にして、すでに人生を諦観しているのだ。

そしてある日、住田の母は恋人と駆け落ちして行方をくらませてしまう。親から捨てられて孤立無援になってしまった住田は、新聞配達のバイトや貸しボート屋を切り盛りするため、学校にも行かずに朝から晩まで働くようになる。

友人の夜野正造(よるの しょうぞう)や同級生の茶沢景子(ちゃざわ けいこ)は、何とかして住田の生活を助けようとそれぞれ動き始めるのだが……。

過酷な環境で「立派に生きる」ということ

こうして書いていると住田はとても「嫌なやつ」に思えてしまうが、実はそうではない。かつていじめられていた夜野を助けたこともあるし、こう見えて人情に厚いところもある。

漫画家を夢見て、前向きに、着実に前進する友人に影響を受け、「オレは必ず立派な大人になる」と決意する素直な一面もある。

彼が恐れているのは、第三者によって、自分の人生に迷惑をかけられること。望んでいるのはたった一つだけ、「普通に生きること」だけである。その唯一の希望を奪われたくない一心で生きているのだ。

しかし残酷にも住田の些細な願いは、実の父親によって打ち砕かれてしまう。

「お前の父親がうちの会社から600万円を借りて逃げている」と取り立てにやってきた悪徳業者によって、ことごとくひどい暴行を受けたのだ。

これをきっかけに、住田の父親への憎悪はさらに増して行く。

一方でそのことを知った友人の夜野は、スリなどの悪事を働きながら住田のために金を稼ぐようになる。

そんな夜野はある日、同じくスリの常習犯の飯島テル彦(いいじま てるひこ)という若者と知り合う。

飯島から「一緒に強盗をやらないか」と持ちかけられた夜野は、住田の父親の借金返済のために誘いに乗ってしまう。

物語は、ここから大きく動いて行く。

『行け!稲中卓球部』作者・古谷実さんの「衝撃作」

『ヒミズ』の作者は『行け!稲中卓球部』でおなじみの古谷実さん。

2001年〜2003年に『ヤングマガジン』で連載された本作は「笑いの時代は終わりました…。これより、不道徳の時間を始めます」という宣伝文のとおり、これまでの古谷実さんの作風から一転して、ギャグ漫画の要素を排除した「人間の心の闇」を描いた作品だ。

2012年には園子温監督により染谷将太さん主演で実写映画化されているが、原作の設定やラストに大きく違う点がある。

私は元々、映画版の『ヒミズ』に大きく感銘を受けて原作を読んだのだけれど、こんなにも原作・映画ともに素晴らしかった作品を他に知らない。

住田は絶望しきっているように見えるが、自分自身の人生を必死に生きようとしている。不遇な彼にも生きているだけで多くの出会いがあって、少しずつ変化していく心境と、彼の苦悩と、狂気が同時に描かれていて。

初めて『ヒミズ』を読んだとき、すでに映画も観てストーリーも分かっていたはずなのに涙が止まらなかった。

人生に絶望している。それでも、生きることへの未練を断ち切れない。

そんな彼の気持ちが、少しわかるような気がしたからだ。

もし「ありきたりの日常」に飲み込まれて溺れてしまいそうになったら、『ヒミズ』を読んでみてほしい。過酷な人生を生きる住田の言葉に、思わずハッとさせられることも多いと思う。

ヒミズ/古谷実 講談社