シュールに描かれる瑞々しい愛の予感『僕は問題ありません』が傑作すぎる

レビュー

愛する妻と娘、仕事、月曜のゴミ出し、夕刊とキャラメル……
その全てが欠けても彼の生活は成立しない。
 
加えて、家の屋根につくった秘密の小屋で、大量の人形と話すという時間も。

 

 
一見すると他者からは理解されないような趣味や性質を持っている。でもちゃんと暮らしている。なのに理解されないことは、はたして問題なのだろうか。
 
宮崎夏次系先生の『僕は問題ありません』は、どこか不器用な人物たちが織りなす8つの話をまとめた短編集だ。
 

僕は問題ありません
©宮崎夏次系/講談社
 

人は誰にでも自分だけの大切な世界がある

 
『僕は問題ありません』がセリフとして表れるのは第二話「朝のバス停」。
ささやかな日常に波風を立てぬように家庭も仕事もうまくやってきた父親は、ある日、ずっと隠していた秘密を妻に知られてしまう。
 
それは、隠し持った大量の人形とおしゃべりをすること。
 

 
父親は、心から妻と娘の幸せを願っている。
ただ、「人形との会話」は彼にとっての日常で、決してなくしてはならないものだった。
 

 
その性質を心から嫌悪し拒絶した妻は「私たちのために」「あなたのために」と、彼の彼だけのかけがえのない友人たちを燃やし尽くしてしまうのだ。
心のよりどころをを失った父親はかくして発狂する。
 
「僕は変なのか?」「いやちがう」「いいじゃないか」……。
 
この父親の姿に既視感を感じた。
無断で夫が大切にしていた鉄道模型を捨てた結果、夫が何にも興味を示さなくなってしまった……というネットで有名なコピペ「鉄道模型を捨ててから夫の様子がおかしい」だ。
 
鉄道模型でも、ガンプラでも、人形でも、大切な自分だけの趣味や世界を持っている。それを、大切な人にわかってもらえないことはこんなに悲しくて切ないものなのか。
 

 
喪失感に空っぽになりかけたある朝のバス停、娘だけがこっそりと隠し持ってくれていた人形を父親へと手渡してくれるのだ。
 
「ちょっとよく分からないけど……大切なものなんだよね」

「私もよく変な形の石を……集めたりするから気持ち分かるよ」
 
朝日が眩しいバス停、他人に押し込められるように乗り込んだバスの車内で手におさまった人形を見る。小さな大切な、大切な世界。
 
動き始めたバスから娘の姿を見送る父親の瞳が、朝日を受けてキラキラと輝いた。
何がどう変わるかはわからない。この父親が妻と再びわかりあえるのかも。
それでも、理解されずとも認めてもらえたこと。認めてくれる人がきちんといたこと。
 

シュールな世界観に描かれる「愛」や「希望」の予感

 
宮崎先生の作品は、一見するとシュールな世界観とポエティックな絵柄ばかりに注目がいってしまう。
 
けれど『僕は〜』は、現代人の抱える、言語化できないくらいに曖昧な感情が物語のなかに完璧な形で落とし込まれているのだ。社会への不安や孤独、そしてそれらをかき消してくれそうな「愛」や「希望」の予感。
 
先述した朝のバス停の他にも、このマンガのなかに登場する人物はみな特殊な「欠け」を持つ。
 

「ひとりぼっちにならないよう、ずっとひとりでいろ」と孫を溺愛する祖父に閉じ込められてしまった少女。

自分が轢き殺したロクデナシに成り代わり、死なせた彼の人生を追うニート。
 

 
「標準的な夫婦」のサンプルとして、一生閉ざされた範囲で住むことを余儀なくされた主婦。
 
「欠け」にもがき苦しむキャラクターたちの閉塞感は、淡々と物語が紡がれながらも限界を迎え、そして限界まで膨張した大きな風船がバチーンと音を立てて弾けるような怒濤のクライマックスを迎える。
 
クライマックスの先はどこか寂しささえあるのに、砕かれた閉塞感の残滓の上に「愛」や「希望」を感じさせる、とても瑞々しく、なにかキラキラしたものが降り注ぐのだ。
 
この弾ける衝撃に当てたられたが最後「うわっ、うわー!」と心で雄叫びを上げながら一気に読み進めてしまう。めちゃくちゃに心を揺さぶられて、不思議と涙がポロリ……。

PVを見ているような疾走感

 
宮崎先生が綴る物語は、音楽のPVを見ているようだ。
 
Aメロで世界観の紹介、Bメロで物語が軽やかな音を立てて加速する。クライマックスへ向けたCメロのわずかな間隙。
そして大サビでドーーーン!とクライマックス。
 

 
緻密さと抜けが絶妙なバランスで配された少しだけ現実ではない世界と、驚くほど大胆なコマ使いだからこそできる唯一無二の宮崎ワールド。
 
作品それ自体も傑作なのだが、メロディさえ聞こえてきそうな描き方は、マンガの新しい可能性までも感じてしまう。やっぱりどこをとっても傑作なのだった。

僕は問題ありません/宮崎夏次系 講談社