ボクシング世界王者を通して考える「強い」ということ。『ZERO』の哀しい物語

レビュー

格闘漫画『刃牙』シリーズの主人公、刃牙いわく「男なら誰だって一度は地上最強を夢見る」そうだ。分かる。私も夢見た。子供の頃、部屋の電気のヒモを自分で揺らして、それをシャドーボクシングのようにかわしながら夢見た。
男性であれば分かっていただける方は多いだろう。「俺は強い」と妄想すること。頭の中での闘いでは、最後に立っているのはいつだって自分だった。強敵と闘い、血を流しながら、息も絶え絶え、右手を高々と突き上げて勝利宣言。そこへ女の子が駆け寄ってきて、優しく抱きしめてくれる。そうして、彼女の柔らかな腕の中で静かに目を閉じるんだ…俺は…。

いや、格闘技経験はないです。特別体を鍛えたこともありません。青春時代を漫画とゲームに捧げたゴリッゴリのインドア派です。
何を言ってるんだ?と思った方、私もそう思います。

あくまで妄想。もちろん腕っ節が強い訳じゃない。「最強の男」になんとなく憧れたことがあったなぁ…という話。
実際、「最強」から見える景色は一体どういうものなのだろうか?自分より弱い奴らが群れているだけに見えるのか、それとも闘うことに飽き飽きしているのか。

今回は「最強の男」ボクシング世界チャンピオンの物語『ZERO』の中身を追っていきたい。

ZERO
©松本大洋/小学館

主人公の名前は五島雅。これまで負け無しの統一世界ミドル級チャンピオンである。
もうすぐ30歳という年齢だが(プロボクサーとしてはかなりベテランな年齢)とにかく強い。

あまりに強すぎて闘える相手がいない、そこからついたあだ名がタイトルでもある「ゼロ」だ。
第1話の時点で通算25回、タイトルを防衛している。ちなみに、現実世界でのタイトル防衛記録世界一も25回。ジョー・ルイスというアメリカ出身のボクサーが打ち立てた記録だ。

が、それも1話の終わりであっさりと塗り替えてしまう。これで通算26回。まさに無敵のチャンピオン。
さて、そんな五島を周りはどういう風に見ているのか。
正直、作中ではあまり尊敬されているようには描かれない。
もちろんチャンピオン、ファンもいるが、しかし闘えば勝つという状況が長年続いているせいで、ある種のマンネリが生まれている。
また、同じジム所属の後輩ボクサー高田は自分なら勝てると考えており、五島のトレーナー、荒木に啖呵を切る。

若いとは言えない年齢…盛り上がらない試合…新進気鋭の台頭…。
五島にとって恵まれた環境とは言い難い。

一方、当の本人、五島は自分から気持ちを吐露するタイプではない。
ただ、会話の端々から読み取れる強さへの自信、不遜とも言える態度、何を考えているのか分からない表情……どこか不気味な雰囲気さえ感じられる。
そんな五島の思いは一つ。
「壊れないオモチャが欲しい」。

つまり、自分が本気になっても闘ってくれる相手が欲しいのだ。
さきほど「強さへの自信」と書いたが、実際五島はリングに立ち続けてきた。
その実績は本人以外も認めるところ。そんな男が自分の強さに自信を持つことは、当然と言える。
しかしそれは面白くない。だって自分は「オモチャ」で遊びたい。
まだ見ぬ強者を「オモチャ」と呼ぶこの男。恵まれた環境とは言えない中、そんなものどこ吹く風。
まるで子供のような願いを言う五島。
やはり不気味だと思ってしまう。

そのうち五島は一人のボクサーに目をつける。
メキシコ出身19歳、トラビス・バルだ。
彼がスパーリング中に相手を殴り殺した…という噂が日本にまで届いた。
相手に「圧倒的な強さ」を求めている五島。どうやらトラビスも「こちら側の人間」だ、と興味を示したのだ。

そして、上巻の後半から下巻にかけて、その対決は実現する。
もちろんその結果をここに書くことはできない。
なのでここからは読み終えた私の感想だ。

こんな経験はないだろうか。
例えばものすごいアクションシーンのある映画を観終わった後、自分もそのアクションが出来る気がすること。アウトローな作品を見て、自分もワルな世界の住人だ…とポケットに手を入れて歩いたこと。
つまり世界観に入り込んでしまうこと。自分は経験ないけど友達がそうだった、という人もいるかもしれない。
私はけっこうそういうタイプだと自覚があるが、しかしこの『ZERO』を読み終えたあと、そういう気分になれなかった。
「最強の男」の物語を読んだはずなのに、強くなった気がしない。

なぜか?読み終えた後に感じられたのが「哀しさ」だったからだろう。
「悲しさ」ではない。「哀愁」「虚しさ」に近い。
こうはなりたくないな、と思ったのだ。

「最強」は一人だけだ。一人でそこに立っているからこその「最強」だ。
言い換えれば、それはひとりぼっち。孤独。
周りには誰もいない。闘いたいと思える人間がいない。みんな自分より下。弱い。
しかしそれでも求めてしまう、満足感。満たされたいという願い。
それが五島の言動から伝わってくる。

彼が年齢を重ねても引退しなかったのは、それが理由じゃないかなと思う。
いやしかし、そんな簡単に理由付けできる感情ではないのかな、とも思う。

私には彼の気持ちが理解出来ないのだ。
だからこそ「孤独なんだろうな」と考えてしまうし、哀しい。ひとりぼっちの人間の虚しさ。憧れられない「最強の男」。
理解できない、常識の範疇を超えてしまった存在こそが「最強の男」なのかもしれない。
なぜだろう、温かいものが飲みたくなってきた。どうしても肝が冷える。「最強の男」になんてなりたくない。

ZERO/松本大洋 小学館