涙腺崩壊!一人きりのオフタイムに読みたい家族がテーマの漫画3選

まとめ

我が家は涙もろい人が多い。小学生のころ「奇跡体験 アンビリバボー」や「3年B組 金八先生」など感動するテレビ番組を観て家族みんな鼻をすすっている風景が当たり前だった。その風景を見てどこか冷めていた私は出る涙も出ず、中学生のころまで「ドラマや映画で泣いたことがない」ということが密かな自慢であり意地になっていた。(今考えるとなかなか捻くれているなと思う。)その意地は大人になっても引きずられており、今でも映画館など人前で感動して泣くことには恥じらいを感じてしまう。

その点漫画は良い。読む場所を自分で動かすことができるからだ。
たまに「今日は泣きたい気分だな!」なんて思うときは、自分の部屋にこもって漫画を読む。人の目を気にせずボロボロ泣く。『SLAMDUNK』(井上雄彦 / 集英社)を読むときは嗚咽を漏らすくらいに号泣してしまう。

社会人になってからは、どうも家族ものに弱い。「はじめてのおつかい」なんてもう、必死に親の頼みごとを達成しようと努力する子供達の姿に胸を打たれ、涙なしで観ることができない。これには昔感じなかった母性が自分の中で育っていることを感じる。

さてこれから紹介する3作品はすべて家族に関係する話だ。ぜひ部屋着でリラックスしながら読んでほしい。

笑い顔と泣き顔のスペシャリスト・大澄 剛

大澄剛先生は小学館からデビューし、2008年には『家族ランドマーク』という単行本を刊行している。子役を主役とした漫画『このゆびとまれ』では現実の芸能人をオマージュしたような登場人物の面々にインターネット上でも話題になった。

彼の描く漫画は、登場人物たちの感情むき出しの表情が魅力的だ。

なかでも今回紹介する短編集『あさは、おはよう -大澄剛短編集-』はその表現力が大澄作品の中でもずば抜けている。
物語は父と娘、夫と妻、母と娘など家族ものが多い。1話目は嫁に出る娘と、嫁に出す父の短編話だ。

あさは、おはよう -大澄剛短編集-
©大澄剛/少年画報社

その日は娘の婚約者が挨拶にやってくる日だった。
一人娘が嫁に出る。

あんなに可愛かった娘が、

嫁に出る。

無言で睨みつける父を余所目に母はストレートに娘のどこに惹かれたのか、婚約者の彼に質問する。

婚約者からの答えを聞いて、二人は安心して娘を送り出す。

意地っ張りな父と、一方で大らかな母。

娘が”自分たちのホーム”へ帰った後、野球が大好きな父が娘を送り出す心情を表現した、ベンチからの叫びは無音ながらもグッとくる。あんなにさっぱりしていた母が婚約者からの言葉に感動し涙するシーンは、嬉しさと切なさが入り混じった感情が込み上げてくる。

大澄先生の描く表情はいつも心に響く。
友達を思い歌い泣き叫ぶ姿も、

愛する人を想い溢れ出す笑顔も、

感情をむき出しにした表現がそのまま愛情の大きさのように感じるのだ。
『あさは、おはよう』は涙なくして読むことができない名作だ。

ラスト10ページで一気に涙腺崩壊、『お父さん、チビがいなくなりました』

お父さん、チビがいなくなりました
©西炯子/小学館

「私にとっては”親”だけど…あの人たちも”男と女”なのよね。」

そう話すのはこの物語『お父さん、チビがいなくなりました』に出てくる武井家の三女・菜穂子だ。
3人の子供が巣立ち夫婦で穏便に過ごしていると思っていたら、母から離婚を考えていることをカミングアウトされるというところから物語は始まる。

定年退職した父・勝と、44年寄り添ってきた母・有紀子。

一緒にいる時間は増えたけれど、いつも素っ気ない態度の勝に有喜子は心が通い合っていないと感じる。旅行の誘いをスルーされたときには愛猫のチビに悲しみを漏らす。

二人の心がすれ違ってしまった日の夜、愛猫チビが家からいなくなった。有喜子は唯一の心のよりどころがなくなってしまう。

実は有喜子はもともとお見合い結婚で、勝の本当に好きな人は同じ職場の志津子だと思い、ずっと不安を抱いてきた。子供が巣立ち、ペットまでもいなくなったことで二人の間をつなげるものがなくなったことがその不安を増長させたのだ。


↑若かりし頃の有喜子・勝・志津子

結婚する前の”男と女”の関係のときの話だ。子供たちにはその経緯はわかるまい。

チビがいなくなったことで、二人は直接コミュニケーションをとるしかなくなる。そうして徐々に本音が飛び出してくるのだが、関係は悪化するばかりだった。

これは単なる老夫婦を描いた漫画ではない。”男と女”の恋愛漫画だ。私は、両親も親である前に一人の人間であり自分と同じように恋愛をし続けるのだと思った。これは当たり前のことだけど、忘れがちなことだ。
クライマックスは何度読んでも涙が止まらなくなる。

親から自立した人は、一度は読んだ方が良い物語だ。

何度でも読みたい超名作『赤ちゃんと僕』

赤ちゃんと僕
©羅川真里茂/白泉社

最後に紹介するのは1991年〜1997年に「花とゆめ」で連載されていた『赤ちゃんと僕』、通称『赤僕』だ。
母親を事故で亡くした小学生・榎木拓也(えのきたくや・11歳)が母親と仕事で忙しい父親の代わりに弟・実(みのる・2歳)の育児をし成長していくホームコメディなのだが、この漫画の最終巻を涙なしで読んだ人を私は知らない。

全18巻で日常を描いたコメディタッチが多いストーリーだがテーマは育児・家族へのコンプレックスやいじめ、モンスターペアレントなどヘビーなものも扱っていた。

↑右上が拓也、右下が実。真ん中上は拓也の親友ゴンちゃん、左下がゴンちゃんの妹のヒロ。左上は読者ファンも多かった6人兄弟の藤井くんと真ん中下が妹の一加。兄弟がそれぞれ似ている。

小学生の時にこの漫画に出会ったとき、毎回コメディ描写が面白くて読むのが楽しかったけれど、弟の実のことだけはあまり好きになれなかった。というか、拓也と同じタイミングで実に腹が立っていた。「なんで言うこと聞かないの?」「どうしてすぐ泣くの?」……

今回記事を書くにあたって再読したが、子供の頃と違い嫌悪感を抱かなかった。ワガママなのは子供だから当然だと思ったし、むしろ無邪気でかわいいと感じた。そして意外にも母親の役割を果たそうと努力する拓也が子供なんだなと感じることが多かった。昔読んだ時は大人びた少年だと思っていたが、今読むと大人になろうとしている少年に見えるのだ。

母親を亡くした当初、拓也は泣きわめいて止まらない実を道に置いてきてしまう。すぐに引き返し犬に襲われそうになった実を慌てて助けるのだが、その時実が拓也に必死にしがみつく姿を見て拓也は、実も寂しがっていることを考えていなかった自分に気づく。母親を亡くしたことの悲しみと、仕事で忙しい父親の代わりに行う家事。「どうして自分が実のために時間を割かないといけないのか」と自分のことしか考えることができていなかったと気づくのだ。
『赤ちゃんと僕』は、拓也の成長物語だと改めて感じた。『僕』の拓也はお兄ちゃんだけど、やっぱり小学生の子供だ。拓也の成長は読んでいて応援したくなる。

名作はいつの時代に読んでも面白い。そして、最終巻については『赤僕』を名作と言わしめる大団円が待っている。これについては一切の解説なしにお勧めしたい至極の作品だ。

笑うことは表情筋を動かせばできるけれど、泣くことを一人でするのはむずかしい。そういうときは、漫画の力に頼るのが手っ取り早い方法だ。今回紹介した漫画はどれも、大人たちがたくさん泣く。大人の涙がグッとくるのは、自分が大人になって我慢することを覚えて、泣くことがほとんどなくなったからだと思う。

彼らの涙に、つられて泣く。読み終わった後すっきりした気持ちになって、泣き疲れて少し眠る。そんな時間の過ごし方もいいなと思う。

ぜひハンカチと携帯電話の充電器を用意の上、読んでほしい。

あさは、おはよう -大澄剛短編集-/大澄剛 少年画報社
お父さん、チビがいなくなりました/西炯子 小学館
赤ちゃんと僕/羅川真里茂 白泉社